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アララトの聖母

1 :名無シネマ@上映中:2008/08/07(木) 17:11:55 ID:yNc2qmse
監督:アトム・エゴヤン/2002年/カナダ
http://www.gaga.ne.jp/ararat/

2 :名無シネマ@上映中:2008/08/07(木) 17:13:53 ID:yNc2qmse
 主人公は迫害を逃れてカナダに渡ったアルメニア人の子孫。
同じくアルメニア人映画監督によるジェノサイドの再現シーン
に触れて、内なる民族意識を目覚めさせていく。監督が語る
“今でも憎まれている”という感覚、母が語る虐殺を生き延びた
アルメニア人画家の想い。一方で、トルコ人提督を熱演した
トルコ系新人俳優(劇中の役柄)はあっけらかんと言ってのける、
「今じゃ誰も覚えていない、だから仲良くやろう」──。

 民族の魂を眠らせないために虐げられた記憶を永々と語り継ぐ
行為について、ひとしきり考えさせられる。誰もが目を背ける
ような凄惨な仕打ちをひとつひとつあげつらうような描写は
情念の部分に働きかける煽動的な手法だと思えば、平和への
一歩を司る寛容や忍耐といった理性のベクトルと正反対の
ものだという気がするけれど、では彼らのような虐げられた
民族の癒しや誇りの回復は如何になされるべきなのかと考えた
とたんに躓いてしまう。劇中で撮られた映画「アララト」は、
アルメニアをルーツに持つ現代人にとって、誇りを維持する
担保であると同時にカタルシスの手段でもあるからだ。

3 :名無シネマ@上映中:2008/08/07(木) 17:14:58 ID:yNc2qmse
 原爆を歌ったあるフォークソングの一節に引用された、
歌い手の親戚である被爆者の言葉を思い出す。もう恨んでいない、
武器だけを憎んでも仕方がない、むしろ悪魔を生み出す自分の
心を恨むべきだから。……そこまで達観するのも決して簡単な
ことではないと思うが、痛ましい記憶の伝承が民族の誇りに
つけられた疵痕を聖痕として子々孫々刻み続けるためになされるのか、
それとも同じ悲劇を二度と繰り返さないための警鐘としてなのか
によって、この手の作品の解釈も分かれることになるのだろうか。
本作は脚本全体が“かつてこういう事があった”という事実の
流布を目的として構成されているために、ドラマとしては人々の
行動や台詞に些か無理を感じる箇所が散見されたのが残念だけれど、
エゴヤン監督が本当に描きたかったのが恐らくは劇中劇として
描かれるジェノサイドの部分なのだろうと思えば、それをわざわざ
メタ的に一重余計なフィクションでくるんでまで韜晦せざるを
得なかった監督の心中を思えば、本作は見終わってより重く迫ってくるのだ。

4 :名無シネマ@上映中:2008/08/08(金) 00:42:21 ID:iWO7zwro
何故今更

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