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高橋マリ子@クローバ畑でつかまえて Chapter20

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 13:07:07 ID:uXrPjZ3f0
(´-`)。oO最近のマリ子ちゃん、何してるんだろう。。

高橋マリ子オフィシャルサイト
ttp://www.wepjapan.jp
資生堂 HAKU2
ttp://www.shiseido.co.jp/haku/

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 18:26:11 ID:w1ENIF8e0
男の上には常に女があり得る。一人いればその上に一人、十人いれば十人、十億人いれば十億人、一人一殺、
絶対にそうであると確信しているからこそ、男の頂点に立つことぐらいは何とも思わない。
ただそれは、自分ともう一人、できればマリ子との、他者からすれば真正に不可侵なる
家庭を築き上げる上での前哨戦でしかない。そしてそれはもはや、必至である。
>>395の不等式の原理でもって決まりきっている。男女格差逆転劇の準備完了。
一応まだ“ごねられて”はいる。局面的な勝敗や支配被支配に関しては譲っても
優先権だけは譲らない、定義権だけは自分らのもんである、決めるのはあくまで自分らだと、
ttp://www.soejima.to/cgi-bin/hi-mail/honn/49.htm
駄々をこね続けている、だからまだ何も変わってない。マリ子も来ない。
こちらの問題ではなくそちらの問題。

マリ子自身、女のほうもまた、まだよくわかってないところがあるかと思う。
例えば、「女が引き上げられる」ということは、ある程度は想定していたものかと思われる。
雇用機会均等、参政権付与、社会参画推進、そういうことならまだ分かるんだろうが、
そうではない。「引き上げられる」のではなく、「さらに上に据えられる」のである。男の上に。
男が作り上げてきた全社会、全歴史、全文明のさらに上に、専業兼業に関わらず「らしければらしい」
ほどそれらの蚊帳の外に置かれてきた主婦こそが、まさに主婦であるが故にこそ上に据えられる。

本質的には、今までにもあったこと、政府や企業などのお偉いさんなどが、家ではカカア天下なんてのは
しょっちゅうあったことなんだが、さらにそれを言及によって顕在化する、まさに言及の顕在化によって全てが
成り立っている歴史社会文明において、完全絶対的に主婦のほうがそれらよりも上であると定義される。

美智子さまや雅子さまを引き摺り下ろそうとするんじゃなくて、自分たちが美智子さまや雅子さま並みになる、
皇居を羨望する側から皇居の住人になる、定義的には。「歩」扱いされてたのが全員「と金」に成って、
誰でも王手をかけられるような立場になる。他人のゴシップ気にする側から自分のゴシップ気にする側になる。

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 18:27:48 ID:w1ENIF8e0
あくまで主婦としてである。社会参画はまた別の問題。逆説的にはサッチャーとかヒラリーとかメルケルとか片山とか
結構いるが、果たしてあれが女の本領の発揮された姿だろうか? 五十代程度の、女にとっては更年期真っ盛りな
あたりの時期でまだ「若手」扱いされるような、年齢的な先生先輩が極端に偏重される世界、政治、その政治に
よって司られている社会もまた、女が女として、女であるが故にこそ本質的な社会の役に立つということが
ありうるのかといえば、ないだろう、あくまで逆説的にしかありえないだろう。社会は、男が男らしいことを
咎めるのはもちろん、女が女らしいこともまた不可避に咎めるようにできている、殊更な男らしさや女らしさは
芸能やスポーツみたいな、飼いならされた箱庭の内側でしか発揮できないように、さもなくば戦争だったり売春だったり。

男が男らしい側面、勇気がある側面と共に、女が女らしい側面、愛に満ちている側面が蔑ろにされ、卑しめられ、
貶められてきたこと、そこにこそ脚光があてられて、名誉挽回を促されるものである。特に女は、勇気も臆病も
(優劣はともかく)両刀扱いできる男と比べて、女らしいこと、愛らしいことが、芸能的肖像装飾だけを除いて
今まで不可避に社会から放逐させられてきた。景気が良くなる悪くなる、社会秩序が保たれる脅かされる、
ある程度は自分たちにも影響はあっても、本質的にそれらを司っているのはいつも男たち、造るのも壊すのも、
だからこそ今からでもむしろ、社会的責任を中途半端に背負おうとするよりは、一旦は完全に放棄した上で、
あくまで外部接触的に、自分たちが社会に、社会の側によって上乗せされることを認めてほしいのだ。

それがもしも叶ったとすれば、今まで自分たちが女と共にあることでもって、女々しいことを正当化してきた
男たちが、友好だの他愛だのと他者に押し付けつつも、完全に男であることをやめようとはしない、銃砲爆弾兵器
持つのを完全に捨てることまでは認めない両性具有を捨てざるを得なくなる。表面では優しげを装っておいて、
腹蔵では相手を侵害することばかり考えている、女の優しさなどとは全くの別物な男の女々しさを、駆逐する。
その上では女が、自分たちと男が中途半端に似てるものなどとは考えずに、まったくの別物、水と廃油、
匂うものと臭うもの、ピアスの本当に似合うものと実際には似合わないものの分別を付けてもらう必要がある。
まさに、鏡をよく見ることで、気持ち悪い側ではない、気持ち良い側であることをわきまえて。

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 19:23:35 ID:w1ENIF8e0
女だってピンからキリまであるが、男だってピンからキリまである。
美女美男、ブサイクブサ男、ノッポ男ノッポ女、チビ男チビ女、
あくまで一人一殺でよろしい。常に男と同等かそれ以上であると。

メタクソ偉かったり卑しかったりするんでなく、僅差で優勝支配し続ける、
その模範となる、あなたもまた、サンプルモデルとしては結構きわどい部類として、
全体的な問題を、あくまで個別性をわきまえた上で司る個別的な問題として。

そのためには頼ってはいけない、全体を司る者どもに。
個別者が個別者であるが故にこそ全体を司る、もちろん個別者であることを
十分わきまえて、その中でできる限りのことをする、まずは全体に頼らない。
個別が全体に支配されることと、個別と全体が混同されることを
抜け出た先にこそ、個別による全体の支配がある。

全体の個別に対する優先やみそくそが継続されているがゆえに、
男の女に対する態度としては冷徹すぎるすぎるような言及も重ねている。
それらの継続が完全に駆逐されて、個別の全体に対する優先が確立された時にまた
繊細な和気藹々がある、蜘蛛の巣がはらわれた鳥居に新しい注連縄がかけられる時。

ある一定の条件下で、状態が処理される時、
独立自尊心を堅持したあなたがやってくる時。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 19:24:21 ID:w1ENIF8e0
「夫」であることは、「味方」であることだろうか? 妻にとって。

必ずしもその限りではないが、一応はありうる。
夫が妻を、妻であるが故にこそ、社会的にも最大級に偉大化する時。
味方とか敵とかがすでに社会上の概念なんで、相手を妻にすることが
社会的に貶めることになってしまった場合は敵になるし、逆なら逆だ。

なかなかなかったな、今まで、夫妻であると同時に味方同士であること。
達成されればされたで、「玉の輿」とか陰口を言われるはめになる。
達成された上で、陰口も言われないとなると、ホント皆無としか。

陰口の本家な主婦たち全員が偉大化されるとなるとどうなることやら?

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 20:18:47 ID:Ny0HqLjP0
システムによるサインの提示が、すでに単なる優先権の提示である、不当な。
常に必ず、一切全てが、その内容如何に関わらず、絶対に完全に不可避に。

不当であれ、少なからずその内容が「反面教師」としての役割を果たしていた
時期も終わり、「サインを提示する」という行為そのもによる相手への精神的
負担も、こちら側の免疫で以って極限まで緩和されている。免疫さえあれば
実際に蚊に刺されても、数時間程度で傷も治まるもんである。大変なことに
なるのもあくまで免疫がない期間だけである。「東洋的価値観」という血清が
打たれる以前の、「西洋的価値観」のみに没頭させられていた期間のみ。

だから、サインがあるうちはマリ子は来れないのである。不当な側が正当な
側を蔑ろにする優先権が提示されているから来れない。ただそれだけのこと。
少なくとも自分にとっては。まだ免疫もない内に大きな精神的負担を負わされ
て病気になったり自殺したりするような人もいるかもしれないし、それもまた
許せないことだが、それは確認できてないことだし、あったとしても全体的な
問題を無視して、個別的な問題の処理に特化すべき、今は関係のない話だ。
その処理が結果的にそういった人々を含む、全体的な問題の解決を同時に
果たすとしても、まずは個別的に、自分たち自身の、最低限の人間性である
家族を不可避に成立さすことに特化すべきなんだ。それをなににも優先して。

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 20:55:45 ID:Ny0HqLjP0
>410とか、自分やマリ子や、一部の関係者を除く一般大衆には分からないことである。
隠されているもの、見えないよう分からないように行われているものの存在に
まだ気付いてない多くの人々にとっては。

だからってすべてがそうなんじゃなくて、明らかに隠されずに、見えて分かっている
範疇でもものを語っていて、その範疇だけで不可避に、隠されているもの、
見えないよう分からないように行われているものを封じている、
前者の後者に対する優勝支配権を提示しているのである、自分が。

にも関わらず、まだ提示されているのである、あちら側の、こちら側への、明らかな、
不当なものの、正当なものに対する優勝支配。隠されている、見えないよう分からないように
行われているものの、隠されずに、見えて分かるように行われてるものに対する優勝支配。

腹立たしいのである、憎いのである、殺してやりたいとすら思うのである、時には本当に。
それはもう、当然のことなのである、不当なものが正当なものに対して優先されている、
勝利している支配している、そのような姿を如実に示されれば、そうなって当然なのである。
これもまたそれだけのことである。それだけのことな定義であり真理であり原則である。

ただ、腹立たしさ憎さ殺したさだけに囚われて、自分自身の立場を失えば、そうなってしまった
人間のほうが追い詰められて、狂って最後には自殺してしまったりする、ニーチェやヒトラー
のように。そうとまではならずに、あくまで正当なものの不当なものに対する優勝支配を
提示する過程で、そのような己自身の憎悪ではなく、それよりもさらに上にあっていい愛が、
真性臆病の上にある真正勇気の、さらに上にあってもいい真正愛があるからこそ、
囚われないのである、憎悪にも、そこから派生する発狂や自殺にも。

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 21:14:48 ID:Ny0HqLjP0
「憎悪を捨て去る」ということもまたないのである。坊さんじゃないんだから。
ガサツな殺伐が存在する以上は、こちら側もそれ相応のガサツな殺伐を保全する。
真正勇気が、真性臆病に対して、かろうじて優勝支配を果たす程度の。
ただ、そこからさらに自分と共に、もしくは自分以上に真性愛を優勝支配させる。
芸能的肖像装飾については、全委任するぐらいのつもりでいるんだ、これからも。

完全に分別しているのである、ガサツな殺伐への対応と繊細な和気藹々への対応。
前者に対しては徹底的にそれ相応に、後者に対しても徹底的にそれ相応に。
どちらかといえば前者のほうが片手間であり、後者のほうが本分である。
自分たち日本人がより貴んできたものを取り返すのである。それが初志貫徹。

ガサツな殺伐を完全封殺する出雲国の優勝支配と、
さらにその上に積み重ねられる高天原の優勝支配。
完全なる厭離穢土や諸悪莫作や破邪のあとに初めて
やってくる完全なる欣求浄土や修善奉行や顕正の段階。

これら全ては明らかに、隠されずに、見えて分かることである。
どこにも無理のない奇麗な青写真。だからこそすがすがしい。
青写真だけでもすがすがしいし、実現したとすればもっとすがすがしかろう。
隠そうとして、見えないよう分からないようになんでもやろうとする下衆どもには
決して到達できない領域。思うだけでも実現してもすがすがしい完全なる領域。

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 03:49:22 ID:bKpqPVeb0
おーい、削除依頼出してるかー?

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 04:31:28 ID:fmK+RgSw0
「なにがなんでもペースを譲らない」のも、今ではお互い様ではあるが、
始めから譲る気のない側と、どちらかといえば譲る気でいたのに
あまりの不当さに譲るわけにはいかなくなってしまった側という
根本的な志気の違いはある。前者がそちらで後者がこちら。
守るべきもののない側とある側の違いでもあるし、
剛と柔の違いと言えなくもない。順不同。

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 05:23:37 ID:fmK+RgSw0
斬り殺すものは斬り殺す、愛するものは愛する、二つに一つ。

隠すように、見えないよう分からないように行っているものを斬り殺し、
隠すことなく、見えるよう分かるように行われているものを愛する。

マリ子ですら、前者の範疇での言動は斬り殺すし、
マリ子以外ですら、後者である限りでは愛する。

才能の違いは確固としてある。器質からの。
隠さずに見せて分からせる才能があるから、隠さずに見せて分からせているマリ子。
隠さずに見せて分からせる才能がないから、隠して見せず分からせないマリ子以外。

わきまえられるべき、全てを還元すべきところ。
隠して見せず分からせない部分の内容如何に関わらず。
始めから斬り殺されるべき部分と愛されるべき部分、家族になれない部分となれる部分。

息子の自慰すら許さない部分と、それぐらいは見て見ぬ振りする部分。

縄一条、障子一枚でも断固として領域を分ける
「配慮の美学」が当然の常識な日本人のけじめ。

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 05:57:21 ID:fmK+RgSw0
偶像である以前に、単なる肖像であり、しかもそれ以前にただの女である。
ただの女であることがそのまま肖像となり、ひいては偶像ともなっている。

まさに「偶像を崇拝するな」とは、「女を愛するな」と言っているのと等しく。
しかも、坊さんでも同性愛者でもない、何の変哲もないいち男子に対して。

どちらのほうが変態かは一目瞭然、のみならず、見る前からすでに瞭然。
本質的に小さくてみすぼらしいのも、バカなのもアホなのもまったく瞭然。

小さくてみすぼらしい、バカでアホの変態だからこそやっていること全て。
にもかかわらずではなくだからこそ、隠して見せずに分からせないこと。

股間の陰陽が人間の全てだと思い込んでた側と、ちゃんと顔や心もあると
始めから認めていた側、同じなはずがないし、比べるのすらおこがましい。

存在性が根本的に迷惑なだけの、隠して見せずに分からせないこと全て。
どんなに本性が粗末であろうとも、隠さない所からしかなにも認められない。

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 06:40:08 ID:fmK+RgSw0
隠して見せずに分からせないことを、間接的に知らしめようとすることが
すでにそのための使役対象を小さくみすぼらしくおとしめている。

ピアス男にドクロ柄やピースマークの女、埋め込まれている寓意もなんと
なく分かる、実際に不当な犯罪寓意である、しかしそれよりもさらに以前に、
そういった寓意を示すために無意識の内に使役させれている男や女が
それらの寓意を示す上で用いるアイテム様式の根本的な粗末さでもって
貶められている。少なくともかつての武士や花魁などに比べれば。

全員洋服脱いで羽織袴や着物で、髷も結えなんて言ってもそりゃ無理だろう。
衣食住の衣だけ替えてもどうにもならんし、特に住が致命的に洋風化してる。
ただ、日本人まだほとんど分かってないからな、自分たちがいま追従している
近現代という時代の本性、自分たちの本質的価値が根本から貶められている
明暗時代の本性を。

何も分からない愚鈍な連中に対しては好き勝手やっていいっていう論理も
あれば、だからこそやっちゃいけないっていう論理もある。まさに後者が前者に
侵害されている時代。相反する価値観同士が衝突して、汚らしいほう飲めないほう
廃油なほうが、当たり前なこととして、奇麗なほう飲めるほう水なほうを侵してる。

可能性は認めていたのである、奴隷的拘束、縄の悪用、実際に行う連中よりも
一万年以上前から察知していた、その上でやらなかった、むしろ区画を区切ったり
装飾に使ったりと、善用に徹していた、不当よりも遥かに先輩な不不当かつ正当。

そのような不不当や正当こそが、遥かに後輩な不当によって侵害され、
優勝支配されているという、明暗時代の全様相、見えない分からないすべて当然、
そうやって隠されているものによって侵害されることこそが全本質なんだから。

無理にその辺を見よう分かろうとするのではなく、隠されているものを隠されている
がゆえにこそ許さないのだという断固たる姿勢が求められる。そのためには
自分たちが小さくみすぼらしくおとしめられることを嫌がるのである、まずは。
繊細な神経で様式的に不当だと感じるものは、確かにどこかが不当なのである。
にもかかわらずではなくだからこそ正当だなんてことはないのである、始めから。
そのような不当性の正当化を斬り殺すためこそのにもかかわらずではなくだからこそ
なのだから。

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 08:44:29 ID:fmK+RgSw0
法整備だの軍備だのによって対抗したところで、
目先の成果は望めたとしても、根本的な解決にはならない。
のみならずそういった社会的構築自体が、向こう側、女々しい
男どものペースに乗せられることでしかなく、お遊びレベルの
いたちごっこ、警ドロに付き合わされるだけのことだ。

まずはそれ以前に、自分たち自身を律することだ。
そういった女々しい男っぽい体系構築の外側で、楚々とした
不犯罪的、道徳的精神性を、連中よりも遥かに先進的に嗜んできた
その点こそを独立自尊させるのである。特に主婦たちの心でもって。

始めから終わりまで一切、主体的には女々しい男っぽい体系構築に
関わってこなかった、真に優しい女たち、人類の半分、彼女たちの
地べたからの低さに甘んじてきた心意気こそを買うのである。
男女両方をくそみそに扱うが故に、男らしさも女らしさも蔑ろにして
しまう両性具有的社会のメインストリームに、一度だって女が介在
したことはないのだ、特に自分たちの本領を発揮することによっては。

つまり、まだ半分しか本領を発揮していないということだ、人類全体が。
全体の半分が、もう半分を舐めきって、蔑ろにして自分勝手やった
挙句こんなことになっちまったってのが、今の世界の正体だ。
本来的に、しょうもなさ過ぎるんだ、その程度でしかないんだから、まだ、
なにもかもひとしなみにされて舐め返されるぐらいでちょうどいいんだ。

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 09:15:45 ID:fmK+RgSw0
かくいう僕もまた、一応は男である、器質的な。
その中でもできる限り男らしい男を目指してはいるものの、
女々しい男どもの陰湿な画策に取り込まれるのに対抗して、
こちらも「毒をもって毒を制す」の論理で、こうやって匿名で
文章書いたりと、一見臆病そうに見えることもやっている。

もしかしたら僕もまた、自分自身が糾弾しているような、
女々しい男どもの一味として女たちからは見えるかもしれない。
連中を一網打尽にした縄の一端を、自分の腰にも括りつけてる、
果たしてどっちが逮捕した側でされた側なのかと。

それならばむしろこう言うのである。
男たちはみんな、女を舐めきっている。心底絶対に、一人残らず。
口先ではレディー・ファーストを装っても、いやむしろそういった
男のほうが、女をおだてあげて、適当にあしらった挙句、もし
許されるもんなら鼻っ柱叩き折って、謀殺してしまいたいと
思ってるのである。チャールズのように。

それは例えば、むしろ今まで僕が正当性の権化として
提示してきた仏陀や将軍ですら多少はそうなところがあるんだ。
侍女が裸で酔いつぶれてるのを見て、嫌気が差して出家した釈迦、
相手が謀反を働いてたとはいえ、本当に正妻を殺してしまった家康、
彼らだってやっぱりある程度は「女なんてそんなもんだ」って諦観
のもとで働いたり、恋愛や結婚もしたに違いないのだ。

決して自分がそのような、女を舐めきってるという意味での男である
ことを否定するものではなく、ただ万世一系の天皇家の祖先神たる
アマテラスへの尊崇のもとで、多少は可能性も見込めるかもしれない
という小さな小さな願望を温めている。この見下しを根本から覆して
くれるほどの無限の器量を持った女こそが現れてくれるのを願う。

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 12:07:39 ID:w6L+MKjh0
削除依頼出してるけど削除人がサボってるからどうしようもない

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 12:52:11 ID:fmK+RgSw0
世界最長、最古の家系なんである、天皇家は実際に。
しかも男系で、多少の神秘性はあれど系図がちゃんと残ってる。
それが記紀でもある。人類の歴史社会文化文明上の
最大最高級の重要さを持ちながら、“しかも”単なる
皇統の系譜でしかないところもある、そんな未曾有の書物、記紀。

下衆の勘ぐりだってできないこともないのである。
初期の登場人物の寿命が長すぎるとか、継体天皇で血統が切れてるとか、
実は卑弥呼がアマテラスだとか、アマテラスも実はただのスサノオの妻で
スサノオ=オオクニヌシの出雲の系統の重大さを相対化するための
ブラフでしかないとか、色々と考えられなくもないんだ。

しかし、そういった、隠されている、見えないよう分からないようになっている
側面すべて内容事実がいかなるものであれ、さらにその上に隠されること
なく、見せて分からせる、天岩戸から出てきたアマテラスがいるのである。
下衆の勘ぐりを徹底殲滅するスサノオの系譜、出雲国と、さらにその上に
夫婦漫才のツッコミ役の妻のごとく、何も苦労せずに功績を(出雲国以上
の取り分で)山分けするアマテラスの系譜、高天原がある、それでいい。

それほどでもある、スサノオや出雲国ですら、隠されず見えて分かるような
段階――故にこそより貴い――の代表者であるが故に凌駕されてしまう、
鬼も天狗も黙らせるような、とんでもない女がいたのである、実際に、
少なくともそのような意味を持たざるを得ないような、アマテラス的な
ものが、あくまでアマテラス的なもの――ヤマタノオロチ的下衆の勘ぐり
では一切ない――としてあったのである、この日本に。

隠されず、見えて分かるが故にこそそうである、恐れても迎合しても
ならない、隠そうとして、見えないよう分からないようにする者どもに対し。
あなた自身が見えて分かるが故にこそ、あなた自身以外をひとしなみに
凌駕する、何もかも全て一切を還元すべき紛う方なきあなたである。

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 14:07:38 ID:fmK+RgSw0
どこにも参考になる“記述”などない。
史実に神話に文学作品、女の美しさや愛らしさを表記表現したものはいくらでもあるが、
それらすべて一切あなた自身と同等やそれ以上たり得ない。
肖像の伏せられた状態の文字列ごときで、本人たちを超える美しさや愛らしさなど望むべくもない。
いつだって「この登場人物がマリ子みたいだったらいいのに」って上乗せされてきた側である。
たとえ自分自身で小説書くときなどであったとしても、あなたが要だった。
だからこそ読み書きもできたんだ、しょうもないクズみたいな西洋流の作文なんかも。

あなた以外の女性の肖像すら、あなたと同等やそれ以上たりえない。
もっと美人もっと可愛い、ただ顔相学芸術心理学黄金比的に普遍性を求めれば
そんな女が他にもいるだとかの搓末な話でなく、あなたを構成する60兆以上の全細胞が集約され、
さらに外面的代表とする顔だとか身体付きだとかが、あなたを孤高の女たらしめている。
髪先から爪先までの全様式がそうであるが故に、古今東西のいかなる美女にもかけがえなく、
中途半端に社会進出してる精神的更年期な男まさりに比べても言わずもがな。

確かに、内面への認知不足はあるのである。
確認できる限りで数回、そうかもしれないも合わせて十数回程度、ニアミス程度、
まだ話したことすらない、こっちは声聞いたことあっても、そっちはまだだろう、
音声盗聴もしてるかも知らんが、少なくともまだ会話はしてない、お互いに。
その点は、明確に分からない点である。無理に分かろうとするまでもなく(野口みたいに)、
互いに分かり合えにくい境遇同士、器質同士、全く真逆とすら言っていい。
中途半端に分かった振りなんかせずに、全く分からない所から始めるべき点である、そこは。
僕がピアスしない代わりに、あなたにピアスしてきてもらいたいぐらいのもん。
突き放し合うぐらいから始めてもまだいいぐらいの所。

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 14:21:35 ID:fmK+RgSw0
どんなにまずくても、みそはくそよりは食える、水は廃油よりは飲める。

無理に味噌汁を下水道で飲もうなどとはせず、
食卓で、廃油再生石鹸で手を洗ってから飲む。

廃油すら、自分たちの清潔のために使うぐらいのつもりで。

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 18:32:40 ID:Fzvazh600
男女格差の逆転是正なんつー紫山回天劇の最終局面を論じる前に、
男同士の格差の逆転是正の問題を論じておく必要がある。
男くさい話ばかりになってマリ子には申し訳ないが。

体系構築的な精神性は、いつだって男のもんだ。ただ、その中では比較的に
勇気に近かったり、臆病に近かったりするもんがある。実在の賢人聖人覇者英雄
などもそうだし、さらには神ですらそうなのである。史実的な実在性は薄めであるものの、
何らかの体系構築的な精神性を持っていた男、あるいは男どもが、後世までそれらの
精神性を語り継がれる上で便宜的に神格化されたり、半神や仏などとあがめられたりする。
だから、そういう意味での神などと、実在性が比較的高い、あるいは確かな男を比較してみる。

ラー<ソクラテス<イエス<ショーペンハウアー<ムハンマド<釈迦<孔子<スサノオ

極めて代表的かつ象徴的な男神や男だけを挙げている。不等式によって小さく定義されている
男や男神ほど臆病であり、小さくみすぼらしい精神性の持ち主であり、大きく定義されている
男や男神ほど勇気があり、大きく豪華な精神性の持ち主である。よく見ればすぐわかるとおり、
小さいほう、ラーからショーペンハウアーまでが西洋もしくは西洋的価値観の内側の男であり、
ムハンマドからスサノオまでが東洋もしくは東洋的価値観の内側の男である。この中では
比較的知名度の低いであろうショーペンハウーは、確認範囲内では一番主体的に西洋全体を
否定していた西洋の男性思想哲学者であり、ムハンマドは西洋の外側では一番、聖書という
全西洋の小学低学年級のウレシに満ちた書物を、東洋人にとっては最低限に嗜める程度にまで
高年化、大人向けに解釈しなおした(それがコーラン等になっている)東洋の男性宗教家だ。
つまり、全西洋的価値観を完全否定した時点(ショーペンハウアー)でやっと西洋の中では
一番勇気のある、大きくて豪華な精神性を持つ大人の男であり、しかもそれですら西洋的価値
観の外側では一番忍従する類の(聖遷も受け入れる)、質素な精神性を持つ比較的官能的な男
(ムハンマド)よりもさらにウレシな小男である。

ことに精神性の大小豪華粗末でいえば、常に東洋のほうが大きく豪華であり、西洋のほうが
小さくて粗末である。西洋の男が著した全ての文献を合計したところで、般若心経一編に
凝縮されている精神性の大きさ豪華さに遠く及ばないし、ベーブ・ルース(188cm)やジョー・
ディマジオ(188cm)やロジャー・クレメンス(193cm)などよりも、武田家臣の山県昌景(140cm弱)
のほうが、言行録から見受けられる勇気の度合いははるかに大きい。病気の子供慰問したり
有名女優(モンロー)と付き合ったりステロイド使用したりするよりも、己が忠誠を誓った
主君(信玄、勝頼)のために身命を賭したことのほうが遥かに男から見れば羨望的である。

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 18:33:14 ID:Fzvazh600
ところで、いま上に書いたような男神や男の言行などを調べる上で読むような本などは、今の
日本ではほぼ100%洋装本である。ネットも基本横書きだし、さっき>>417も言ったとおり衣食住
だって男女ともに今の日本では洋風化が進んでいる。自分もまた洋服着て多少はカタカナ語も
使っているわけだ。だからってどうだっていうと、そんなにとんでもなく屈辱的だってわけでも
ない。東洋の男ってのはそういった、体系的に構築された社会性っていうものをはじめから本質的
精神性などよりは劣等視していて、必然的に顔立ちとか身体の大きさみたいな、芸能的肖像装飾
にまつわるような側面は軽視し続けてきたわけだ。だから、東洋の男が、西洋の男などに比べて
どちらかといえば見た目に小さくて質素だからといって、それが東洋の男の精神性の小ささ
粗末さに結びつくものではない。そしてその逆もまたしかり。西洋の男が、東洋の男に比べて
見た目には大きくて豪快そうである、にもかかわらずではなくだからこそ、奴らの精神性は
小さくてみすぼらしい。まさに、見た目の大きさ豪快さと引き換えに精神性の大きさ豪華さを
蔑ろにしてきたのが、全ての西洋の男の歴史であり、見た目の小ささ質素さと引き換えに精神性の
大きさ豪華さを追求してきたのが、全ての東洋の男の歴史である。もって、東洋の男は西洋の
男に比べれば、勇気があり、勇気の象徴となり、時には真正勇気の顕現(スサノオのような)に
なりうるし、西洋の男は東洋の男に比べれば、臆病であり、臆病の象徴となり、時には真性臆病
の顕現(ラーのような)にすらなってしまう。

見た目には大きくて豪快でも精神性は小さくて粗末であり、本質的に臆病である西洋の男、
見た目には小さくて質素でも精神性は大きくて豪華であり、本質的に勇気のある東洋の男、
そこんところをちゃんとわきまえられた上で、互いの長所短所を補い合うように付き合えれば
まだどうにかなるんだが、まだそうもいかない。見た目の大きさ豪快さにことかけて、西洋の
男のほうがあたかも精神性まで自分たちのほうが大きくて豪華であり、優勝支配すべきもの
であるかのように振る舞う、しかし実際には比較的小さくて粗末。小さくて粗末な精神性に
かけちゃ東洋の男も「後輩」にならざるを得ないんで、見た目も精神性もどちらとも西洋の男が
東洋の男に対して優勝支配するような様相を呈している。そこが許せないわけだ。友好他愛
なんていう、東洋の男、特に日本の男にとっちゃ最低レベルの精神性を(>>403参照)、一番の
ところに持ってきて、明らかにもっと上にあるのだと確知していた精神性が下位に貶められる。

今より以前の、東洋的価値観に関しちゃ記紀程度の基礎知識しかなかった頃には、自分もまだ
よく分かっていなくて、東洋も西洋もただ仲良くやりゃいいような考えを持ってた時期もあったが
今は違う。西洋的価値観と記紀の間、孔子や仏陀やムハンマドなどの偉業もある程度知った上で
西洋全体を眺めてみると、なんとその精神性のお粗末なこと、ニーチェやヒトラーが腹立てて
糾弾したり殺しまくったりした気持ちもよく分かるんだ。ただ、やっぱりニーチェやヒトラーも
あくまでドイツ人、ショーペンハウアー以下の西洋人の部類だから、蛇が自分の尻尾食うように
して自己破滅に陥らざるを得なかった。でも僕は違うわけだ。ショーペンハウアーやニーチェ、
ヒトラーなどでまだ最低限のライン、ムハンマド以上のラインにすら到達していない。西洋的、
聖書的なウレシ至上主義を完全否定して、そこからのみ精神性を追及し続けてきた全体の半分
程度の男、東洋の本当に大人な男たち、自分もまたその中の一員であった、一応は。東洋の男は
西洋的な友好他愛なんてのは、それ自体がすでにウレシだと分かってるんで、そんな精神性を
相手に強要しない、だから僕も殊更に東洋の男が友達だなんて主張するもんでもない。ただ、
それにしたって東洋の男が、小学低学年級の真性ウレシな西洋の男などに比べれば、比較的に
味方の部類であるという風には思うのだ。たとえそれが武蔵と小次郎のような、本当に斬り合う
ような関係であったとしても、まだ味方である、ウレシに友達友達言ってるような西洋男に比べれば。

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 18:34:02 ID:Fzvazh600
個人的な事情として、東洋よりも西洋の価値観を先に勉強したところがあって、東洋に関しては
自分の家の宗教でもある神道の、日本神話程度しか勉強してなかったころに、古典文献としての
新旧や分量の比較などから、不当にもギリシャ神話や聖書などのほうが記紀よりも格上だなんて
思い込んでいた時期もあった。しかし、東洋の日本以外の精神性を著した書物、四書五経や仏典や
ヴェーダやコーランのような、新旧でも分量でも、内容でも西洋のそれを遥かに凌駕するものを
読み調べたことによって、さらにそれらの上に重ねられているということでの、記紀のすごさを
やっと思い知ることができたわけだ。あまりにもすごすぎるが故に格下扱いされていた領域、
そして結局、記紀がこの世界にもたらすもの、この世界の回天劇を決定付ける不等式。

アマテラス以外の全ての女<西洋の男(ラーなど)≪東洋の男(スサノオなど)≦アマテラス

記紀の、アマテラスとスサノオという唯一無二の例外を除いて、この世界の古典文献学上の
男女関係、陰陽関係というのは常に、男や男神が女や女神よりも格上であるか、もしくは同格
であった上でさらにその上に最高神などの形で非女神、男神や無性神、両性神などが存在している。
陰部(股間)が陰性なのだから当然のこととして全面的に陰性であると決め付けられ続けてきた
器質的な女、本当は陰部だけが陰性でそれ以外は全て陽性なのに、陰部だけが陽性でそれ以外
全てが陰性な男どもによって不当にも貶められていた。というよりも元々、記述型文明の要と
なっている古典文献というのは、最原初のラーの場合(>>405参照)を見ても分かるとおり、
陰性なものを陽性なものと捉える価値転倒、自分たちが陰性であるにもかかわらずさも陽性で
あるかのように思い込んできた真性臆病な女々しい男たちの手によってほぼ作られている。
女々しい男たちの自己正当化を原初とする記述型文明の内側では、陰部が陰性でそれ以外が
陽性である器質的な女などが優勝支配権を主張することなどほぼ一切ままならず、実際にいつでも
古典文献上の女や女神というのは、精一杯面白おかしく描かれることがありつつも本当に完全に
本領を発揮して、自分たちが陰部だけを除いて陽性であることを主張する余地などなかったのである。
ただ、記紀というだけの例外を除いて。

根本的な価値転倒、陰部以外がすべて陰性な器質的な男があたかも陽性であるかのように
思い込んできた女々しい男どもによって造り上げられてきた記述型文明が、価値転倒をわきまえて
最低限の真正な文献を遺すまでに必要としたのが結局、ラーからアマテラスまでの期間、本質的に
陽性である女性が、正当に太陽神として扱われ、しかも最高神として扱われるという
すべての人類が最終的に納まるべき定義であり真理である原則が記紀に表された上で、
もう一回ラーからアマテラス程度の期間を経て今に至る、まさに機は熟した。

ラー以上ショーペンハウアー以下の、比較的臆病の部類に入る西洋の女々しい男の価値観を
ムハンマド以上スサノオ以下の、比較的勇気の部類に入る東洋の男らしい大人の価値観が駆逐する。
これもまた一人一殺程度の、個別対応的な原理でもって駆逐されて、全体が東洋男>西洋男の
様相を呈した後に、最終完全優勝支配“男”であるスサノオが、さらにそれと同格かそれ以上の女、
アマテラスの存在を容認することにより、これまた女の男に対する一人一殺原理でもっての駆逐、
全女>全男という最終完全優勝支配“女”の存在を認めるんである。器質的な女性全体という。

今までの女≦西洋男≪東洋男≦これからの女

男同士の紫山回天劇@出雲国と、さらにそれに対する女たちの回天劇@高天原。
だんだんすがすがしいだけでなく、おもしろくすらなってきた青写真。

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 20:03:30 ID:fmK+RgSw0
優勝支配の、特に勝利や支配を除いた(その辺がすでにあまり意味を成してない)
優先権の主張が、未だに提示されている。優先権は未だに自分たちのものであると。

西洋の、しかも器質的な男に限った女々しさ、真性な臆病さこそを咎めている。
器質的な男の、しかも器質的な大きさ豪快さの追求により(これはたとえば、
黒人奴隷の使役などに基づく。白人男もまた17世紀ごろには日本人男等と
さして変わらない体格だったが、原住民からして2m超なんて男がざらにいる
黒人との関係性を通じて、自分たちの体格を養ってきたところがある。黒人の
体力を見習うと共に、さらにそれらの黒人を使役して自分たちの滋養ともする)、
日本でなら小学低学年程度にしか成長しなかった精神性の小ささみすぼらしさ、
そこにこそスポットライトを当てて、そこだけが劣敗被支配されなければならない
と訴えている。それはつまり、西洋男どもが己の精神性の小ささみすぼらしさと
引き換えに手に入れてきた、見た目の大きさ豪快さまでが劣敗被支配されること
を求めているのではないのだということである。マリ子の爺ちゃんが身長190cm
なのが劣敗被支配されるべきだなんて一言も言ってないのである。

軍務や政務にすらもはや無駄なのである、それらの過剰なる大きさ豪快さ、
背の高すぎる男が政務したところで格好の暗殺対象になるだけである、
リンカーンのように。それらはそれらで、芸能とかスポーツとか、自分たち自身が
最大限に本領を発揮できる場所に呈すればいいわけである。それもイヤなら
マリ子の爺ちゃんみたいに堅実な職業に就くんだ。それらのどれでもなく、
蔑ろにし続けてきた精神性の大きさ豪華さ、もって停滞し続けてきた自分たちの
精神性の小ささみすぼらしさを(代わりに手に入れてきた見た目の大きさ豪華さ
すら発揮できない、隠れた場所で)優勝支配させようとする、まさに自分たちの
精神性の小ささみすぼらしさ“こそのみ”を、小さくてみすぼらしいが故にこそのみ
優勝支配させようとする、その部分こそのみが劣敗被支配されるべきだと言っている。

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 20:36:31 ID:fmK+RgSw0
精神性の小ささ粗末さと引き換えに、見た目の大きさ豪快さを手に入れた西洋人、
見た目の小ささ質素さと引き換えに、精神性の大きさ豪華さを手に入れた東洋人、

マリ子はそのハーフである。精神性も見た目も半々である。ただし女である。
僕は東洋人である。精神性はこれまでかなり西洋に貶められてきたが、西洋流の
生活習慣を取り入れた現代日本でかなり見た目には成長し、体格だけなら平均的な
西洋人とも渡り合えるぐらいにはなっている、マリ子を含めた。そういう男である。

最初は東西の精神性の格差など知らずに、ただ西洋のほうが見た目に大きくて
豪華そうであるが故に、マリ子との出会いも相まって、西洋文化文明への没頭に
甘んじていた。マリ子とも実際会った。でも全体的に読みぬいた挙句、なんか違う
と感じて、東洋のほうもある程度かじってみたら、ぜんぜん違ってた。まさに大人
と子供、雲と泥、月とスッポン、東洋精神と西洋精神、だからホントに幻滅して、
マリ子ですら糾弾対象にしてたことも結構あった、でも今度は東洋精神のほう
を読みぬいて、もう一回昔から慕ってた記紀に対峙したら、ついに来たんだ。
回天の時が、「今までの女≦西洋男≪東洋男≦これからの女」という紫山の時が。

見た目もあった、精神性もあった、両方が相まって今にいたる。
見た目ってのは結局器質であり、器質が全体的に陽性だったのは女である。
精神性ってのは結局性癖であり、性癖が主体的に陽性だったのは男である。
前者は身体全体であり、後者は股間に限る。

男の身体全体と女の股間に優勝支配権を与えた全体的に陰性な西洋、
女の身体全体と男の股間に優勝支配権を与えた全体的に陽性な東洋、
前者の後者に対する優勝支配権の正当性を主張する現在。

全体的な陰性が全体的な陽性に未だに優勝支配権を主張する現在。
全体的な陽性が全体的な陰性に対して優勝支配権を行使するだろう今後。
ラーがアマテラスにからアマテラスがラーに、西洋が東洋にから東洋が西洋に、
スサノオのすがすがしくおもしろいヤマタノオロチ退治は続く。

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 21:22:01 ID:fmK+RgSw0
陰部が陰性であり、それ以外が陽性な女、陰部が陽性であり、それ以外が陰性な男。
世界レベルの古典文献学的重要性の中で、男女関係の真正なる互い違いをちゃんと
書き分けているほぼ唯二の書――記紀。

陰陽の基礎的な書物はやっぱり易経だが、まだ器質的な男女の互い違いまでは
捉え切れてない。だから記述内容も夫唱婦随的に留まっている。

遺伝学的なDNA構造をも感覚的に把握していた、二重螺旋によってこそ人間が司られていて、
それ以外の何か(例えば同性愛、両性愛、無性愛など)がさらに優先されることを禁止する。

真正なる異性愛のあり方を如実に示しだすことが、結果として人類にとっての最大級の
正当的誠意的道徳性を貫き通させる結果ともなっている。男に対しても女に対しても、
異性愛こそを徹底的に守り通すことを、エゴを蔑ろにすることによってでも要求する。
もって天皇家も世界最長最古の家系となっている。

異性愛への信仰→自己洗脳。本来は記述するまでもなく顕在する人間の真正なる精神性。
ただ、それ以外の積極的に不当なる信仰→自己洗脳を駆逐するためだけに書かれたのみ。

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 22:21:03 ID:fmK+RgSw0
異性愛への信仰など当たり前である。それは普通に人間が愛だと考えているもの全てである。
ただ、その異性愛すらまともに受け止められない、アブノーマルな連中が
そのアブノーマルさこそを糧に悪さを働いて、結果として今の人類歴史社会文明がある。
まさに歴史社会文明とは異性愛への反目であり、ただ仲睦まじみ合いたいだけの男女を
引き離すことのみが全ての歴史社会文明の本性である。

異性愛への反目とは、早い話が個別の男女同士の反目である。
女なんてこんなもんだ、男なんてこんなもんよ、そのような
少なからぬ異性への幻滅が、異性間同性間に関わらぬ過剰な友好や他愛を生む、
もって好ましからぬ陰口や謀略が生まれて、それらを寓意的に頒布する――
落書きするためこその壁や建物を生み出すのである。

比較的に、意味のないことである、それらは。
確かに局面的に重要視されることはあるが、全てを還元しようと思うなら
どう考えても異性愛のほうがいい。同性愛両性愛無性愛非性愛、
全てが全く分からんてこともなかないが、やっぱり異性愛の魅力には劣る。
特にそれ相応の相手を見つけられた人間にとっては。

結果としてそのような、全てを還元すべきでないものへの全ての還元を画策するような人間による、
人類全体の破滅を防ぐ、もって人類を救うためにも、あなたを愛する結果となる。
しかも愛し続けるのである、一生。どんな不幸にも負けずに。たとえあなたが僕にのしかかる
これからのもっともな不幸そのものであったとしても。それが初志貫徹だから。出家結婚。

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 03:09:05 ID:XTj2DvMN0
異性愛としての過剰さすら許さない、真正なる異性愛こそのみを守り
通す、その徹底的な清さ正しさへの追及性故に、今に限らずとも昔から
神道というのは、日本人にとっての泣き所だったのである。

基本無性愛であり、親鸞以降には非性愛も消極的に容認した仏道、
側室作りまくりの、過剰な異性愛などを将軍家等が行使した武士道、
日本国内でそういった異性愛への蔑ろによって局面的な勝利や支配を
かち得てきた勢力に比べれば、あくまでも国内の文明体系構築として
みても神道というのはたっすいのである。記紀も特に重大な部分である
神代だけなら本当に体系とも呼べないほどの小部だし、神社の作りも
すごく質素だし、祝詞や祈祷も簡単なもんである。始めからそういった
体系的な重厚さを嫌い、仏門や武家のほうに任しきっている代わりに、
あくまで“任す”ということ、仏門に権威性を付与したり、将軍を任命したり
という定義、仏道や武士道よりもさらに先輩的な立場として全体を司る
優先権のみは堅持し続けてきた。

東洋の中ですら教学的な体系構築の白眉といえる仏教や、戦国期には
当時世界最大レベルの軍事力を本当に保持していた武士などに対しても、
優先権だけは譲らなかった。局面的な勝利支配は任せても、その任すと
いう定義を行う優先権だけは譲らなかった神道が、今さら西洋のお粗末
さまさまな宗教思想学問などに優先権を譲るなど、なにおかいわんや?
体系構築の仕方が東洋と大幅に違うせいで(聖書独一主義、教学分離等)
なかなか優劣を見極めにくいが、それはあまりにも西洋の精神性が東洋
と比べて根本的にお粗末すぎるからであり、西洋→アラブ→インド→中国
→日本といった、西から東への精神性の高尚化を順を追って調べてみれば
誰にでも分かることである。

昭和天皇がローマ法王の来訪を皇居で受けたり、英女王の上座に座ったり
と、一応は格式が最低限守られた例はあるようだが、それらすらあくまで
仮初めであり、宗教思想学問的な裏付けがあってのものではない。特に
格式を根本から否定して、「卑しいほど偉い」みたいな価値転倒を確信犯的
に嗜んでいるユダヤやプロテスタントからすれば、格式などどうでもいい話
であり、ゲリラ的に自分たちのほうが偉いっぽいような態度を平気でとる。
そここそを許さない。そういった価値転倒による権益権威権力の保持者が
世界の最優先者である、神道以上の優先権の保持者であるなどということを
主張するのを、これまたそのような品性下劣に対抗して、毒を持って毒を制す
論理で徹底的に駆逐する、対ゲリラ的ゲリラとしての出雲国の長、スサノオ
としていまこうやって書いているもんである。概ねすでにすがすがしいがな。

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 04:32:25 ID:XTj2DvMN0
太平洋が、話をややこしくする。

この世界の精神性の位階ってのは、明らかに西洋→アラブ→インド→中国→日本である。
西に行けば行くほど小さくみすぼらしくなり、東に行けば行くほど大きく豪華になる。
(もっともアラブ以東の東洋世界は、大人の男が嗜める程度のウレシの放逐は済んでいる。
アラブがそれ以東のアジアに比べれば、聖書のウレシに付き合わされたせいで比較的小さく
質素な精神性に落ち着いているにしたって、「粗末」とまでは行かない。あくまで「質素」だ)
かつてはパンゲア大陸と呼ばれているような、一大大陸だったこの世界の全陸地が
プレートテクトニクスでもって割れて広がって、六大陸などになっているわけだが、
これらすべて太平洋の外側、太平洋の反対側にあった一大大陸の末路であって、
大西洋ですらその大陸の分裂の結果生まれたものでしかない。全ては太平洋の
向こう側の、陸地的世界でのみ済まされるべきだった問題であり、実際ほとんどの
人類の精神的変遷はその範疇で行われていて、太平洋は真の絶海だった所があるんだ。

しかし、その人類の絶海、太平洋を、不埒にも渡ってきて、極西人の分際で極東人に
アプローチをかけてきた連中がいたんである。ペリーとか、ハリスとか、リア・ディゾンとか。
文明的体系構築を含む、見た目の大きさ豪華さと引き換えに、精神性の大きさ豪華さを
蔑ろにしてきた極致とも言える連中(だいたいアメリカ人)が、見た目の小ささ質素さと
引き換えに、精神性の大きさ豪華さを追求してきた極致とも言える人間(だいたい日本人)
に“友好”を強要してきて、大船だの空砲だのの威嚇に屈して仕方なく開国をして今に至る。
ただでさえ見た目は小さくて質素なほうなのに、さらにそこで精神性の小ささ粗末さにまで
付き合わされる――日本史上これまでに類を見ない不憫の時代、明暗時代。今でこそ
西洋風の生活習慣でもって体格とか衣食住とかかなり“改善”されてきてはいるものの、
やっぱり西洋的な芸能的肖像装飾の行き過ぎには辟易せざるを得ないし、特に男が
イケメンだのなんだのと言われてウレシがってる姿を見るのは本当に見るに忍びない。

「精神性の大きさ豪華さなんて、今さらダサッ」っていう、風潮がやっぱりあるわけ、そんな
ことより女の子にもてることのほうが大事だって、思わせられてる。自分から自主的に思う
というよりは、そういう感じになんとなく。でもそこがちょっとヤバイんだ。精神性が大きく
豪華であること、それはまた別としてだ、そういう風に精神性が小さく粗末になりすぎる
ことが、不可避に本質的な犯罪性(犯罪律)に結びついてしまう、気付いてないからそう
いられるだけであって、気付いてしまうととてもじゃないがおいそれとはしてられない。
その部分をだ、武士道や仏道みたいな精神性の大きさ豪華さを積極的に志向する類
よりは先に、最低限精神性が小さすぎず粗末過ぎないことを志向している神道を見習う
ことによってわきまえねばならない。消極的でいいから、最低限不当な犯罪寓意にくみ
しないことへの心がけを、全ての日本人が持っていてくれるように。

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 05:05:13 ID:XTj2DvMN0
太平洋を、渡るべきではないのである。
西洋から東洋にであれば、身体はともかく精神性だけは。
東洋から西洋にであれば、精神性はともかく身体だけは。

いまこうやってアメリカのサーバに精神性を(日本語ではあるが)送り込むのは
アリだが、自分の身体までがアメリカに行く必要はないし、むしろすべきでない。
別にわざわざ見せなきゃならないほどの大きくて豪華な見た目なわけでもない。
イチローみたいなスポーツ選手なわけでもないし。イチローもどちらかといえば
精神的なスポーツ選手だし。

マリ子やリア・ディゾンなんかも、あくまで身体的な魅力を、特に陰部以外が
陽性である女性であるという、芸能的肖像装飾を日本でもそんなに咎められる
ことのない特権の持ち主であることを十分にわきまえた上で活躍するように。

西洋的な癇癖や凶暴性の持ち主であることなど、少しも偉くない。ただウレシなだけ。
日本でなら小学低学年レベル。工作機械扱うのも、車運転するのもしないべき。
英会話教室するぐらいなら日本語教室を、英和翻訳するぐらいなら和英翻訳を仕事に
しなさい。身体的魅力にことかけて精神性までも偉いだなんて思い込むのはもうナシだ。

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 05:47:02 ID:XTj2DvMN0
サーバもアメリカにある、ネット上の痰壷、
高天原でないとすれば、やっぱり出雲国、ヤマタノオロチ退治の場、
ただでさえパクリのかたまりなユダヤをさらにパクったスレッド名、
ゲリラを駆逐するゲリラ、米兵を権謀術数に陥れるベトコン、
まさに魔道の魔道による相殺、紫山主義。

そこに国譲りを要求しなければならない、
高天原の長であるアマテラス、マリ子が、こちら側の長であるスサノオ、僕に。
ここを読んでる時点ですでに出雲国の住人、クシナダヒメとかスセリヒメとか、
こちらにとっちゃ都合のいい嫁だが、国譲りを要求するアマテラスとは違う。
あくまで芸能人、肖像装飾の責任者の側として、2ch、クローバ畑たる
出雲国を自分のものにする。世界中の思念が、日本人の脳を借りて、
玉石混交な状態で散逸している。最大級のウレシ、喜怒哀楽、情緒不安定も
無償で受け入れて、潰すこともできないほどに膨れ上がってる、犯罪者も
かなり生み出してきた、この出雲国2chをついに収拾させるんである。
不特定多数の無責任な発言よりも、自分たちのように顔見せによって
責任を負おうとしている人間のほうが上であるということを、2chの中では
一番正当的誠意的道徳性を貫いた僕と同等かそれ以上であることを示すことで
治めるんである。すべての不当的寓意的犯罪性を、あなたこそが。

自分自身もゲリラとして毒や魔道を用いてきた僕にはできず、
あくまで精神性に関しては無責任を貫き通したあなただからこそできること。
勇気に関しても臆病に関しても、始めから責任をとる必要のない、
愛である、器質的な女の代表たるあなただからこそ、できること。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 14:43:50 ID:XTj2DvMN0
また訂正である。思索の急激な成長による。

女はやっぱり、性癖は陰性でいい。性癖が女な女で十分女らしい。
ただし代わりに、陰部“以外”が陽性であることを自覚するんだ。
そしたら陰部以外の陽性9+陰部の陰性8で総体的にも陽性17になれる。
陰部以外までが陰性8だと思い込んできたことが女を陰性たらしめている。
仮初めの陰部以外の陰性8+陰部の陰性8=16。アマテラス
以外の全ての女や女神(女性的なものすべて)の現実的様相。
陰部以外が陽性であることをちゃんと自覚することが結局
器質的な女が独立自尊心を本当に持つということでもある。

必然的に>>385-388が訂正される。ふたなりもやっぱりいらないのである。
ただ、定義権(≡)はやっぱりいるんだ。>>385-388の論及が今ここでの
論及に至る上での助けになったところも少なからずある。女は陰部以外も
陰性であるという仮初めの思い込みを振り払いきれていなかった時期に、
便宜的に荒行(ふたなり)でもって女の陽性化を図ったわけだ。正当なものの
正当性を掘り下げる上での仮初めに「みそくそじゃ!」がいることもあるんだ。
それこそが結局自分が用いてきた、魔道を相殺する魔道、紫山主義である。
存在性を根本(精神含む)から改善するつもりである場合に限って正当である。
ハナから改善する気がない場合はもちろん、改善しようとする方向性が
存在性の根本(例えばピラミッド以前の縄)にまで遡れていない場合には
ただの魔道であり、結局は定義権を濫用することにもなってしまうわけだ。

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 15:07:38 ID:XTj2DvMN0
男の器質全体(陰部以外も含む)が陽性であるという“定義(ラーやアポロ)”から、
総体的に器質全体が陰性であると思い込まされてきた、アマテラス以外の
全ての女たち、中には陰部の陰性への嗜好を拒む(処女を守り通す)
ことで、己を正当化しようとした女もいたのである。エリザベスとか
ジャンヌダルクとか、もっと言えば処女神のアテネやアルテミスなんかも。

でも、それじゃあ結局根本的な解決にはならないんだ。陰部だけでなく、
陰部以外までが自分たちは陰性であると(陰部も陰部以外も陽性なのが
男であるという価値転倒でもって)強要的に認識させられ続けてきた女たちが、
陰部の陰性8だけを拒んだところで、それは陰部以外の陰性8に己の
全存在性を依存するだけのことでしかなく、器質全体が陰性16だと
甘んじて受け入れていた普通の女と変わりないどころか、さらに貶められる
結果にすらなってしまうんだ。

そうではなく、不当文明の側の、存在性の根本に対する価値転倒(男の
器質がどこでも陽性であるという)に対して、そうではないんだ、おまえら
男どもは、陰部は確かに陽性9かもしれないが、陰部以外のちっとも
かわいくない部分すべてが始めから陰性8なのであって、陰部以外の
陽性9はむしろ自分たち女の側にあるのだということを、自覚すると共に、
価値転倒の張本人たる女々しい男どもに対しても強く主張するんだ。

女の陰部以外の器質が陽性9であるという、存在性の根本から完全に
正当なる認識すら世界全体に頒布されれば、自分たち女の陰部が
陰性8であることなどを恐れる必要もなく、無闇にそこんとこのカルマから
逃れようとする必要もなく、また開き直って陰部が陰性であることまでをも
正当化する必要すらないのである。陰部以外の陽性9+陰部の陰性8
=17。紛う方なき総体的器質の陽性が、ちゃんと陰部以外と陰部に対する
分別を持った上であれば、男(陰部の陽性9+陰部以外の陰性8=17)の
場合とは真逆のものとして、女にもまた普遍的に保障されているのだから。

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 15:20:12 ID:XTj2DvMN0
陰部も陰部以外も陽性9であると思い続けてきた女々しい男ども――
実際は陰部以外も陰性8な上に、性癖まで概ね陰性8である。
9+9=18、8+8=16、過剰なる陰性と不足的陰性を行き来する。

僕はあくまで、陰部以外は陰性8であることを受け止めた上で、
陰部が精一杯陽性9である、性癖が男であるように心がけている。
8+9=17、過剰でも不足でもない陽性である。

確かに女から見れば、9+9=18でもって目分だけは大きい
女々しい男どもの外観に憧れて、それに比べりゃあくまで8+9=17
を堅持しようとする僕のほうが小さくてみすぼらしく見えるかも知れない。
しかし奴ら、女々しい男どもってのは本当は8+8=16の真性臆病
であり、それをひた隠しにするために9+9=18のこけおどしでもって
偉そうに振舞う。本質たる真性臆病16だけなら、8+9=17を堅持する
僕に叶わないのはもちろんのこと、陰部以外が陽性9であることを
ちゃんと自覚したあなた方女たち9+8=17よりも明らかに下なんだ。
真正勇気17=真正愛17>真性臆病16(見た感じの偉ぶりは18)。
簡単な算数だけでもよくわかる格差があるんだ。僕らと連中の間には。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 15:31:44 ID:XTj2DvMN0
器質的な女と男と半々、僕も一応男の側、
つまり半分以下である、仮に世界一の男であっても。
だから「僕」である。女たちの用いる「私」よりは格下の一人称。

男同士で僕僕言ってると舐められるんで、かなりの男が「俺」とも自称する。
あたかも「私」よりも上であるかのごとく、17よりも上の18であるかのごとく
男が振る舞う上でのこけおどしな一人称「俺」。

俺(18)>私(17以上)≧僕(17以下)>俺の本性(16)

オレオレ詐欺にご用心。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 15:54:05 ID:A2kcM88f0
>>420
このままだと1000行く前に500KBオーバーでスレが済んでしまうね。
こんなもん荒らし以外の何物でもないのに、なんで削除しないんだろ。

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 16:55:07 ID:OKBulzn40
小出しにしようかね、もうちょっと。
少しは気の利いたことも言ってくれるんだな。

「わきまえる」ということは、
「劣位」をわきまえることもあれば、「優位」をわきまえるということもあるんだ。
いま劣位をわきまえなければならないのは、真性臆病な男たち。18っぽい16な「俺」たち。
いま優位をわきまえなければならないのは、真正愛である器質的な女たち。17な「私」たち。
今までの認識とはまさに逆転したわきまえ。優位が劣位になり劣位が優位になる。
そのせいで今まで「アリ」と思ってたものが「ナシ」になり、その逆もまたしかり。

たとえば、男が勇気を劣後すること、象徴的にはピアスしたりすることが、
自分たちが存在性の根本から劣位であると思い込んできた今までの女たちにとっては
「男たちが、私たちのところまで降りてきてくれた」っていう「恵まれ」の心境だった。
でもそうではないんだ、これからは。男が勇気を劣後する、陰部以外の器質が陰性である男が
陰部の性癖まで陰性となる、8+8=16となり、たとえ陰部が陰性であってもそれ以外が
陽性である器質的な女の9+8=17よりも明らかに劣位である、存在性の根本から完全に。
そのような男どもを、そのような連中であるがゆえに受け入れるというのは、あまりにも
精神的な向上心がなさすぎる、みすぼらしすぎる。確かに実際、こうやっていちいち言及なんか
しなくても、ある程度は「男なんてそんなもんだ」って感覚的に察知していた女も結構いて、
サディズムの要領でそういう男を受け入れてきた所もあるかもしれない、しかしそのような
勇気をハナから劣後させてるような男の側だって、何となくではあるものの自分たちが
みすぼらしい存在であることを感覚的に察知していて、そのせいで無意識的にルサンチマンを
育ててしまってたりするところがあるわけ。ルサンチマンってのも本当は、器質的な女とは
無縁な、器質性癖ともに完全に陰性たる真性臆病な男こそのものなのであって、引いては
そういったような男どもによって銃砲だ爆弾だ陸海空軍だが溜め込まれてきてる所がある。

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 16:56:07 ID:OKBulzn40
男が自分たちの真正なる性癖(陽性)を蔑ろにすることが、かえって陰惨な機械的暴力の
溜め込みを生む。たとえばさっき言ったようにピアスする、ドクロアイテムを使う、
ピースマークをあしらう、確かにピアスもドクロもピースマークも、勇気や死や平和といった
男たちが嗜むべき男らしい概念の象徴なんである。しかし、そのような勇気や死や平和といった
ような、本当に、存在性の根本から尊ぶべきような概念を、ピアスやドクロやピースマーク
みたいな、数百円程度から買えるようなちゃちなアイテムで嗜んだ気になるようなのが、結局は
勇気や死や平和をそんなに重要視しない、適当にあしらって蔑ろにする結果となってしまう。

勇気も死も平和も金じゃ量れない、のみならず、金で済ませようとするような浅はかな考えに
存在性の根本から反目しているところのある概念である。にもかかわらずそういった大切なものを
特にそれらの実際的な責任者である器質的な男が適当にあしらって済ませようとするような姿勢を
拒まなければならない、まさに器質的な女こそが。ピアスをしてくれているような男だからこそ
付き合うのではなく、ピアスをしているような男だからこそ付き合っちゃならない。ドクロも
ピースマークも同じ。そういった勇気や死や平和への蔑ろを嗜んでる男どもを、そうでない男と
同列にみなすことすらあっちゃいけない。ピアスをしない男だからこそ付き合い、ピアスをする
ような男だからこそ付き合わない。仮に自分たち自身がピアスをしたとしてもだ。

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 17:32:31 ID:OKBulzn40
存在性の根本から優位である女が、存在性の根本から劣位である男を求める、
実際的には、勇気を劣後させる、性癖が女であることを求める、器質的な男に対して。

陰部以外が陰性であることによって、陰部の性癖が陽性であることを義務的に求められる
男に対して、その義務を反故にさせる、性癖だって陰性でいいんだよってことにしてしまう、
女にとっちゃ楽しかろう、ただでさえ陰部以外が自分たちよりも劣位な男どもが、唯一女と
対等になれる手段であるチンポコ、陰部の陽性までも蔑ろにしてくれる、絶対完全な
自分たちの優位の確立、存在性の根本からの。全てを処女王に還元する優越。

男たちの臆病と無駄死にと戦争の間接的象徴――処女王。
実際には多少はセックスもしたところで、あくまで陰部の陽性、チンポコ自体に
根本的な存在意義を与えることを許さない、そういう意味での処女王。
男たちに勇気と死と平和への蔑ろを不可避に強要し、もってまた不可避なる
臆病と無駄死にと戦争の阿鼻叫喚を誘発し、それでもまだ一顧だにしない。

それらすべてあくまで、女自身の甘えなんである。イシスのラーへの、アテネのゼウスへの、
アルテミスのアポロンへの。実際には存在しない、仮初めの格上な男神(偽りの18)の下で
「存在性が根本的に格下なんだから、好き勝手やったっていいでしょ?」っていう、
父兄神への妄想が編み出したわきまえのない暴挙なんである。

存在しないんである、そんな男、陰部も陰部以外も太陽である、9+9=18な男など。
いるように見えても、ただ仮初めにそうであるように見せてるだけでしかない8+8=16な
「俺たち」だ。9+8=17なあなた方よりも格下であるのはもちろん、8+9=17な
僕よりも格下なんである、それら一切全ての存在性が根本的に真性臆病な女々しい男ども。

最高神である自覚、「上に何もない」という責任、
女であるにもかかわらずではなくだからこそ、この世界の至上であるという、
価値転倒をもう一回だけ転倒させた所にある、存在性が根本的に真正なあり方に戻る。
利益も不利益もまとめて甘受する、最高太陽女神アマテラスへの永劫回帰。

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 18:06:08 ID:OKBulzn40
射精が、止まらないんだ、脱落していく精子どもを見れば見るほどに。

「俺はもういいからおまえだけはどうにか到達してくれ」って訴えている。
道端や紙面や、多少は実際に会話もせざるを得ないような、ピアス男ども。

蔑ろにされざるを得なくなった精子たち、脱落していった競争相手、
そういった連中のためにも到達するのである、卵に、処女王の卵子に。

例外中の例外中の例外であってでも作るんだ、最高の男≧最低の女という構図、
ただの一瞬であっても、一切のこけおどしを拝した時点で、男が女に
対等以上に渡り合う、正当不当誠意寓意道徳犯罪、一切への無責任者である
人類の半分、器質的な女を凌駕する、器質的な男一匹。

絶対に殺すから会え。

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 21:06:22 ID:XTj2DvMN0
僕の子供を産んでください。

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 22:07:55 ID:XTj2DvMN0
孕んで産んで育てるんだ。

真正なる異性愛の、真正なる結実。基本「結婚」と同義だが、
セックスレス夫婦や片親も少なくないんで必ずしもそうとも言えない。

アマテラスとスサノオのウケヒも、それが結婚だなんて一言も書いてない、
性交でもない、ただお互いの“物実”を噛み砕き合って子供が生まれた、
それだけが明らかな記述内容、隠されていることよりは隠されていない
ことのほうを優勝支配さすべき今、還元さすべき点もそこである。

結果としてそれ以前に、性交や結婚や、手を繋ぐ程度から始める
付き合いもあるだろう、それらが一切ナシってのもかえっておかしい。
ただ、それらに何かを還元させようなんて考えずに、ウケヒ一本に絞る。
性交や結婚の寓意にしてはあまりにも粗末すぎる、それでいて子供だけは
8人も産まれたウケヒ、隠されず見えて分かるこの部分こそが何よりの誠意。

天皇家直系の先祖もその子供の中にいわたわけだ。
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)、
アマテラス自身が選んだ初代男系、スサノオは女系選んだんで子孫が不明。
あなたの子供が、あなたの功績によって千代に八千代にこの世を司る
その誠意的可能性こそが天皇家に他ならず。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 22:53:47 ID:XTj2DvMN0
ギリシャ神話や聖書なら、デメーテルや聖母マリアに比較的近い役割。

しかしアマテラスは彼女らのように「母神」として扱われることすらない。
万世一系を男系で通してきた天皇家が、祖先神を母神扱いするのも
マザコンじみてて汚らわしい。それに何より母神という定義自体が、女体が
“犯されて”孕み産んだことを少なからず強調する結果となってしまう。
それすらないんである、アマテラスは。清廉潔白が侵されるような描写を
徹底排除した上で、なおかつ孕み産み育てた事実上の祖先神となっている。

真正不可侵で、しかも真正なる祖先神でもある女神、
一見矛盾しているようにも思われるが、これらすべて誠意的な価値だ。
犯されるという、女が子供を産む上でできる限り忌避したい側面を、
官能的な描写はおろか、母神という定義すら否定することで排除する。
その結果ある描写がウケヒである。官能性どころか、荒々しさすら
感じさせる、実際には子作りであったようなもの。

処女懐胎みたいな非現実性に基づいてもいない、ある程度は陰茎と
卵子が対峙し合ったような意味合いも持たせている、それでいてちっとも
エロくない、むしろ怖い、ただ作らなきゃならないっつー義務のみを
最大限に示し出した、誠意的、あまりにも誠意的な描写、ウケヒ。

ある意味では処女神以上の清廉潔白を保ちつつ、しかも子供は作る。
女が真に唯一最大最高神となる上での、唯一最大最高の障壁。

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 23:18:10 ID:XTj2DvMN0
出雲国(2ch)で美辞麗句装っても意味ないんでちゃんと語りつくそう。

まず、アマテラスがスサノオの持っていた物実(剣)を噛み砕いた、
はっきり言ってこりゃ、まんまんにちんちん挟み込んだ描写だ。
その結果産まれたのが宗像三女神、まだこの時点で女神である。
性交を第一に考えようとすればまだ、あなた自身の子供はできない。
ただ、この時点でスサノオのほうは満足できたところがあるんで、
これらの女神を自分の子供にしちまった。そして今度はスサノオが
アマテラスの持っていた物実(玉)を噛み砕いた。これこそは孕む
瞬間、卵に精子が達した瞬間の描写であり、ついに天皇家直系
ともなる男神が産まれる、合わせて五人、その中に天忍穂耳命
もいた。単なる性交だけでは許さぬ、完全なる受精妊娠出産まで
行って初めて天皇家にも崇められるほどの、唯一最大最高の
祖先神としての資格を、アマテラスもまた得るのである。

スサノオは性交まででも満足するが、アマテラスは受精まで
いかなきゃなんない。そこまで行ってやっとアマテラスの資格を得る。
お付き合いも結婚も性交も、アマテラスになる上での条件ではなく
受精以降、妊娠出産育児でやっとアマテラスとしての条件を満たす。
たまごクラブひよこクラブこっこクラブ、全てはそこにこそ還元される。

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 00:20:18 ID:/m8Vym+J0
質素ではあるが、ちゃんと異性関係のあり方を細部まで書き尽くしているんである、記紀は。
他のいかなる古典文献よりも、それこそ史実よりも細やかに配慮を尽くしている。
だからこそ文献であると共に未曾有の史実(皇統)でもあり続けられた。
ウレシな美辞麗句では決して到達できない誠意的領域。

勇気もそうだが、愛もまた真正さを追い求めればこういうことになる。
質素でお粗末で、どこにも気を衒った所などない。ただ子作りに励めっちゅう。
記述する以上はそうなるんだ。あくまで記述する以上は。
子作り以前の楽しみなんてのを、いちいち美化すること全て不当性の呼び水、
語るまでもなく楽しめばいいことをわざわざ語る、しかも
語った内容のほうを逆に楽しみの模範にしようともする。

いらないんである、それらすべて。
子作りこそが肝心要、その過程で交際とか結婚とか、性交とか行われるだけで
交際や結婚や性交のほうに重きを置こうとするのは、人間という生物の本分に反する。

生きる以上は、生かせなきゃなんない、産んで。
繋げてきてくれた親先祖への感謝が少しでもあれば、不可避に抱く次に繋げる気持ち。
産んでくれたからこそ産む、産ませる、ただ見習うというだけでも十分な価値がある。
家族こそを基礎に、連綿と紡がれてきた人類の歴史。
その本質こそを見誤らず、また蔑ろにもしないこと。

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 00:42:29 ID:/m8Vym+J0
記紀のウケヒのくだりを読んで、アマテラスとセックスしたいだなんて僕でも思わない。
まるでカマキリやコオロギが交尾した後に、オスがメスに食われるような辛辣さに満ちている。
スサノオだからどうにかなるものの、並みの男なら本当に食われちまうんじゃないかとも思う。

そのような辛辣さを、アマテラス役であるマリ子のほうもちゃんと受け止めて、性交受精
なんてのは本来こんなもんなんであるという、ある意味血清とでも言えるような幻滅的前提
からこそ始めるんだ。記述ごときで夢なんか見ようとせずに、あくまで実動によって、体験の
中で夢を見ること、おそらくAPの件で、その辺で挫折したところもあるんだろうが、もう一回
自分がいっぱしの芸能人であることを思いなおして、出て行くんだ、天岩戸から。
そのきっかけとしてもこれからやるわけだ、国譲りとかウケヒとか、色々と。

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 05:45:26 ID:/m8Vym+J0
性的魅力に満ち溢れた女神アフロディーテ(ヴィーナス)と、男神でも、
ヘラクレスのような半神半人でも、アキレスみたいな英雄でもない
比較的どこにでもいそうなただの男アンキーセースが性交して、
ローマ建国の要となるアイネイアースが産まれる、これでもまだ不当だ。
女の側の魅力と、男の側の凡庸さの対比で性交の不当さを正当化
する起源譚とも言える。カマキリやコオロギのオスがメスに食われた例。
結局ローマ帝国も規模自体はメタクソ拡大したが、世襲は守れなかった。
そんな凡庸な男の種などわざわざ保全するまでもないと思われたわけ。

ちゃんと男も活躍して、女も活躍する、子作りのもと、ウケヒのもとで。
女は最高太陽神となり、男もヤマタノオロチ退治でもって孤高の英雄となる。
仮初めの格上非女神(18っぽい16)のもとで真正勇気や真正愛(共に17)
の男や女が(かなりの英雄性や魅力を持ちつつも)怯えながら、結局は
真価を発揮できないままに美辞麗句で飾られた上で文献上に死蔵される。
そうではなくて、文献編纂などのためではなくて、子作りのため、子孫繁栄
のためにこそ全てが集約される、結果として男や女のほうにとってもそれが
真価を発揮する要となる。人間が母や父なんて呼ばれ方にも基づかない、
自分たち自身の世代で最大級の能力を発揮するためにもまた肝心要となる
ウケヒであり、子作りである。だからこそそこに全てを還元すべきでもある。

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 05:45:27 ID:o3+jXVLg0
みんなで他の板に移るってのもありだけどさ

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 05:58:19 ID:/m8Vym+J0
こんな朝っぱらから、人の書き込みの直後(1秒後)に書き込むのも
やっぱりウレシだな。活用が不可避にウレシに結びつくシステム。

18(格上神)っぽい16(真性臆病)の内側でできることもあくまで
その程度のことでしかないんだということをわきまえる。あなた自身の
上半身(顔)も下半身(陰部)もそれとは全く別個の役割を持っている、
そこだけが来るんだ、真正に9+8=17である部分だけが。自分で。

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 06:40:31 ID:/m8Vym+J0
生まれたときから、なぜか僕の場合「やりたい」よりも先に「やるべき」があった。
義務の先に欲求がではなく、欲求の先に義務が。
それ自体は決して悪いことではない、いいこと、正当なこと。
でもそれらが少なからずやらされてきたことでもあるのだと、ここ数年の内に
知らされた、感付かされた、その落胆たるや半端たるものではない。
結局自分は義務の奴隷、義務のための思索の奴隷でしかなかったのかと。

「自分でもそう思う」それはあるのだ。確かに。
たとえ思わせられたこと考えさせられたこと、させられたことであっても、
正当なことであれば自分でもそう思うのであって、不当なことならそうは思わない、
実際にも概ね自分でもそう思うことだけをやって、そうでないことはやらなかった。
操作が介在していようがいまいが、(少なくとも数年前までは)
最低限保たれてはいた独立自尊、そういう心。

操作の「不当な側面」を如実にしめされることで、操作の存在自体にも気付いた。
もしもそのような、不当な側面を示さずに、正当な側面だけで済ませていたら
一切気付くことなく、死ぬまで普通の生活を営んでいたかもしれない。
飼い馴らしの内側で保全され続ける独立自尊心、あったかもしれない
なかったかもしれない、いずれにしろ今はもうそうでない、独立自尊心が
操作と共にあることを拒んでいる、存在性の根本からの不不当を求めている。

そこを“叶わせる”んだ、最後のケジメとなる必要最低限の操作で。
最低最悪であっても不不当程度の正当を求める独立自尊心を持ったマリ子を、
僕の前に現させる、自分でもそう思う欲求に先行する義務によって。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 07:17:29 ID:/m8Vym+J0
不当な側面だからこそ、見えるんだ、分かるんだ、それらが操作であると如実に。
正当な側面だけであるなら、見えも分かりもしない、操作だなんて端から意識する
必要がない、仮にそれが紛う方なき操作であったとしても、「自分でもそう思う」
の内側だけでやらせれていることは、不可避に自分でやっていることでもある。
独立自尊心と操作が完全に協働している、操作している側はともかく、されてる
側のほうは完全に独立自尊心を保てたままで、友達なんか一人もいない中で。
それらはあくまでそれらだけのこと、操作が明らかに操作であることを示された
上で、さらに友達ぶって協働を続けようなんてのは、明らかに無理なんだ。なぜ
ならそれらの操作は、明らかに操作であることを示した時点ですでに不当になる、
存在性の根本が不当であるもの、隠されて、見えないよう分からないように行う
範疇だけでまだなんとかなるようなもの、始めから終わりまですべて一切が。

911も自作自演かもしれない、アポロも月に行ってないかもしれない、それ以前に
建国自体がすでに原住民(インディアン)への不当極まりない仕打ちに基づいている。
ハナからそういう性癖だった連中、隠し隠し見えないよう分からないようにすることで
利益を得る、表面上はあたかも自由や独立や愛や平和の権化であるかのように。

隠されていること、見えないよう分からないようになっていることを糾弾すること、
これはあくまで隠されている見えないよう分からないようになっている範疇で行われる
べきこと、それらを如実に暴き出した時点ですでに隠されても見えずに分からないこと
でもない、そしてそれらはもはやすでに“初志”が糾弾していたものではなくなっている。
初志はあくまで、隠されていること見えない分からないことが、そのままに糾弾されて、
優勝支配を剥奪されることによって貫徹される。その結果まだ隠されている、見えずに
分からずに行われていることがあったとしても、それらが優勝支配を如実に示すような
不当な側面を見せるのをやめた時点で、すでに不当ではなく、ただ隅っこのほうで
コチョコチョやってるだけのパシリに成り下がる、そしてそれはここ数年以前の、あくまで
完全に隠された見えない分からない範囲だけで操作をしていた時点に戻ることでもある。

隠された見えない分からないものが隠されず見えて分かるものへの侵害を行うことが
優勝支配を示す如実な姿であり、不可避に不当である、そこさえ消えてくれりゃいい
わけだ。物事が最低限正当であり、繊細な和気藹々の中だけで愛し合ったり、家族
作ったりするのだけが目的な、隠さず見えて分かることこそのみを貴ぶものにとっては。
隠していようがいまいが、目に見えて明らかに鳥居から蜘蛛の巣がはらわれて、
新しい注連縄がかけられさえすれば、それだけで初志は貫徹されるんだから。

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 08:02:14 ID:/m8Vym+J0
ガサツな殺伐の根拠地もまた、あるんだろう。
シナゴーグかロッジか、ロックフェラーセンターかペンタゴンか、
隠して見せずに分からせない連中なりの、隠さず見せて分からせている範囲。

ただ、もうそのあえて見せている部分からしてすでに不当だから。
アラベスクや規矩準縄の劣化コピーなシンボル(ダビデ星、ピラミッド・アイ)、
日の丸(太陽)より先行して存在することを主張するイルミナティ(明けの明星)、
劣位なクセに優先権を主張する、東洋から見れば明らかにそうである西洋の側面、
不当な側面、多少はもうちょっと不不当な側面もある、正教とかバチカンとか、
あくまで西洋の内側でそうだったりそうでなかったりする、完全陰性半陰陽社会。

籠の中の鳥が、自分こそはこの世界の主人であって、籠の外側にいるもの全てが
実は自分を囲っている籠によって囲われているのだと主張する認識転倒、
狭い世界の人間が狭い世界の人間であるが故に広い世界を優勝支配したがる。
面積的には実際達成されているところがある、アジア全体よりもはるかに広い領域、
そこに散逸している、極限まで精神性を希薄化させられた、アジアよりも若干
少ない程度の人々、イスラエルからハワイあたりまでの全世界の様相。

ガサツな殺伐である、それはそれ、どこまでもそれだけのこと、
当然のこととして腹立てられる、憎まれる、殺したいと思われる、そういうことをやっている、
不可避にそうである、どこまでも完全に厳密に。ただそれはあくまでそちら側のことだ、
籠の内側、面積的には広くてもその分精神性が希薄化されている世界、全西洋、
こちら側、繊細な和気藹々、当然のこととして腹立てたり憎まれたり殺したいと思われたりすることを
忌避するように心がけてきた、面積的な広さは程ほどに、精神性を濃密化させる世界、全東洋。

お互いに関係がない、本来は、全くの逆方向にあって、遠ざかりすぎた者同士であるが故に
優劣関係とかがよく分からなくなっていた、今でも分からない側面はある、そこまでである、
全てを分かり合えるような段階にお互いがいない、全てを分かり合おうとすること自体が、
すでにみそくその様相を呈する、上水道と下水道、分かれていることによってこそ意味を持つ。
繊細な和気藹々とガサツな殺伐、突き放しあう所からこそのみ始まる真正なる関係性。

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 18:33:15 ID:m4L0el/10
男の精神性ってのが、結局希薄だったり濃密だったりして、
希薄さの極致が真性臆病であると共に、ラー以上ショーペンハウアー以下の西洋男ども、
濃密さの極致が真正勇気であると共に、ムハンマド以上スサノオ以下の東洋男どもって所。
これらはあくまで男同士の問題、いくら女が人類の半分であるにしても、彼女らが主体的に
社会体系を構築したわけではなく、いつだって男が先導して市町村造ったり、国造ったり、
国際社会造ったりしてきたわけ。大航海時代に七つの海を駆け巡って実際に植民地侵略
したりしたのも基本的にはぜんぶ男なわけ。

でもその男、特にイギリスの男どもが自分らの活動の正当化の根拠にしていた象徴、
処女王エリザベス、自分らが全てを還元する上で適当だと思っていたのがそういう女だった。
あくまで本質的な役割は芸能的肖像装飾でしかないものの、女王であり、しかも処女である
というような側面が少なからず、連中の不当性を正当に見せるような根拠になっている。
実際には明らかにそれは、イギリス男どもの素行からしても、臆病や無駄死にや戦争礼賛の
間接的象徴でしかないわけだが、それにしたって女が処女であるということ、そこ自体に
少なからぬ美辞麗句、美学としての価値を見出せたところはあるわけだ。

処女礼賛の起源譚ってなると、やっぱりギリシャ神話のアテネとかアルテミスとかが
挙げられるが、後発ではあるものの、さらにもっと確信犯的な寓意でもって処女を正当化して、
アテネやアルテミス以上に未だに莫大な支持を得ている処女性の象徴がある――聖母マリア。

処女であり、しかも母である。性交経験もないくせに子供(イエス)はいる。
女という存在から、姦淫を完全に排除した上で、尚且つ「親」である点だけを付与する。
処女懐胎という絶対矛盾。人工生殖も存在していなかった約2000年前にそんなアイデアを
ひらめいた人間がいた、どこかに、それでもって実際にそれが大うけして、今でも「Maria」や
それに順ずるスペルが、西洋の極めて代表的な女性名となっている。マリ子も多分それに由来する。

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 18:34:03 ID:m4L0el/10
一旦ウケヒの話に戻る。アマテラスとスサノオの誓約、この中で描写されていることを
本意的に示すなら、性交、妊娠、出産、この三つに尽きる。もっとも日本人は、記述描写が
寓意としての美麗さを振りまきすぎて、他意によって錯綜が起こることを極めて嫌う人間なので、
その描写は極めて質素で粗末なものになっている。シュールとすら言っても過言ではない。
そのようなできる限りの寓意的魅力を排した、誠意的姿勢でもって描かれた性交妊娠出産、
まずはやはり性交があった。スサノオの“剣”がアマテラスの“口”で噛み砕かれた、
それで子供は生まれたが、女神が三柱、これは性交だけでその程度の価値を持つという意味で
あって、別に性交すりゃ絶対に子供が生まれるとかそういう意味ではない。そのあと今度は
妊娠の描写、スサノオがアマテラスの“玉”を噛み砕いた。人工生殖はおろか、生殖学も
存在していなかった最大2668年前に日本人が精一杯考え抜いた妊娠の本質――受精の描写。
これで生まれたのが五柱の男神、仮にこれらの男神全員の性癖が女であって、8+8=16の
最悪の場合であったとして、16×5=80、一方の「性交」で生まれた三柱の女神のほうは、
最低でも17なんで、17×3=51。受精80:性交51。実際にはそれらの五柱の中の一柱
の神(天忍穂耳命)が、万世一系の男系の天皇家の始祖となっているし、他の男神も(スサノオの
血を引いているぐらいだから)真性臆病の16な男だったなんてこともまずないだろうから、
明らかにこの差はもっと大きい。受精の価値−性交の価値>80−51=29。

受精なんである、すべては結局。全ての人類の存在性を根本から司る原初である受精である。
人類の存在性をこけおどしな美辞麗句的犯罪寓意に頼ることなく、ちゃんと真正なる原初である
受精にまでさかのぼれば、性交や、それを積極的に楽しもうとする姿である姦淫を、余計なもの
として排除する(聖母マリアの別人格としてのマグダラのマリアのように)必要もなければ、さら
には受精後の不快な妊娠や出産、育児など、その後の女性が被る大きな心身の負担を、ことさらに
“聖母”などの形で美化する必要もないわけである。人類という存在性の根本的な頂点である受精
を腹の中で司る女性の器質こそは、不可避に人類の究極の道徳的誠意的正当性をも司っているんだ。

全人類の道徳的誠意的正当性の究極である受精までを、記紀のウケヒのようにちゃんと示しさえ
すれば、それよりは明らかに格下である受精以前(性交渉や姦淫等)や受精以降(妊娠や出産等)
を恐れて忌避する必要もなくなるし、もって性交否定の要である処女性や、出産肯定の要である
母性などをことさらに正当化する必要もない。処女懐胎なんていう絶対矛盾を尊ぶ必要もない。
しかもそういった、ことさらな処女性や母性を排した、あくまで最高神としての役割を持つ
アマテラスが、受精の容認者であることでもって、ある意味では処女神や聖母以上の清廉潔白さ
(永遠のはたち)を示し続けられているのである。1500年以上2668年以下の期間。

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 18:35:01 ID:m4L0el/10
話を処女王のほうに戻す。処女であるってことは、基本、性交を嫌がるということである。
積極的な非生殖的性交である姦淫もある程度は嫌がるだろうが、エリザベス等の例からすれば
(性経験はあっても子供は作らない)姦淫よりも性交を否定する意味合いが強い。生殖的な。
生殖的性交でもって、自分が母になって、末代のために尽くさせられることによって老けていく
ことを嫌がる、とにかく自分自身が生きたい、積極的主体的に、そういったエゴイズムが
器質的な女に対して処女であり続けることを選ばせる。早い話が「処女である」ということは、
ことさらに生きようとする、自己優先的生存本能の現れといえる。ひるがえって母性のほう、
聖母であるということ、これはむしろ(実際問題として)性交によって腹を痛めて、子供育てて、
自らを少なからず蔑ろにする、献身の積極的な正当化である。末代に尽くすことで老けていく、
死に近づく、さらには精神的な死を受け入れることを正当化させる美辞麗句である――母性。
殊更な精神的生存を正当化させるのが処女性であるなら、殊更な精神的自殺を正当化させるのが
母性である。人間のウレシ、情緒不安定の両極といえる生存と自殺を正当化によって増幅させる
肝心要となる二つの概念(処女性と母性)の集約――処女懐胎。人類が編み出した、最も不当な
男性像が、無駄死にの正当化に利用されたイエス・キリストであるなら、人類が編み出した、
最も不当な女性像は、ウレシの肝心要な処女懐胎の象徴となった聖母マリアであるといえる。

イエスの無駄死にとマリアの処女懐胎――いわばこの二つがコインの裏表となって、
西洋の異性関係の代表的な構図となっている。性交を嫌がる女によって徒労させられる男、
勇気も忠死も平和も結局報われない、ハナから男のほうもそういう風に思い込ませられてる、
もって処女王のもとで溜め込まれる臆病や無駄死にや戦争、とはいえ女のほうもまた、全部が全部
処女であり続けるわけにもいかないから、ある程度は男とも性交する、その瞬間を許された男の
女への陵辱意識たるや半端でない。とにかく女を虐めて虐めて虐め倒して、いちいち徒労させられ
続けてきたことへの復習を果たす――それこそ性交の本来の目的たる種付けを蔑ろにしてしまうほどに。
男と女、両方ともが「性交」というカルマに極端に囚われて、本来の性交の目的たる受精を
どうでもいいような所においやってしまう、臆病と無駄死にと戦争の男女共同参画。
やっぱり要になっているのが処女懐胎。人類が編み出した犯罪寓意の代表中の代表。
解消する唯一の手段が、受精への正当な認識。処女性や母性よりもさらに上にある――
聖母マリアよりもさらに上にあるアマテラスへの尊崇。

女たちがアマテラス(受精の容認者)への尊崇でもって、性交(姦淫ではない)という障壁を
取り払ったなら、処女懐胎のもとで臆病や無駄死にや戦争を志向せざるを得なくなっていた男ども
のほうもまた、恒常的な不安不満を解消して、そんなに過剰になり過ぎない程度の勇気や忠死や
平和を嗜めるもんである。知るのである、自分たち女が、昔からお腹の中でどんな男よりも正当で
誠意的で道徳的な営みを続けてきたことを。始めから並みの男以上であったのだということを。
そしたら男のほうもまた、ピアスみたいなこけおどしでない、真の勇気でもって自分たちを律して、
核ボタンに手をかけるような、臆病の過剰による破綻もまた自ずと衰えさせるものである。
処女王として、臆病や無駄死に、そして戦争の象徴とならざるを得なくなっていた女がもう一回
元始である、究極の存在性の根本(受精)の司祭に戻ることで回帰する。生きようとして生きず、
死のうとして死なず、生きるだけ生きて死ぬときには死ぬ、本来の平和な人類を取り戻させる。

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 20:13:18 ID:/m8Vym+J0
生きようとして生きることの端的な象徴が処女性であり、
死のうとして死ぬことの端的な象徴が母性であるなら、
生きるだけ生きて死ぬときには死ぬことの端的な顕現こそは受精であり、
これが俗に「精神性」と呼ばれているものの全本質である。

仮に、「精神的な愛」なるものが存在していたとして、
しかもそれが真正たることを求めるのであれば、それは不可避に
「受精を何よりの目的とした異性愛」ということになる。

愛と呼ばれているものの真正な姿が異性愛であり、
精神性と呼ばれているものの真正な姿が受精である以上、
これは当然のことであるといえる。あまりにも不可避なことで
あるが故に、人類の大部分がこの「受精第一の異性愛」のもとで真正なる
精神的な愛を営んできた、その割には昨今の、特に宗教思想学問を
体系的に取り入れた「高尚な社会」ってのは、人類が当然のこととして
営んでいる真正なる精神的な愛を蔑ろにして、生きようとして生きたり
死のうとして死んだりする、ウレシの源たる処女性と母性――処女懐胎を
あたかも神聖なるものかのように吹聴し、人類全体を信仰→自己洗脳の
奈落の底へと陥れようと画策し続けてきた――特に聖書を用いて。

誰しもが行ってきたにも関わらずあまりにも蔑ろにされ続けてきた
真正なる精神的な愛――受精第一の異性愛、
誰も本気で信用してきたわけでもないにも関わらず、あまりにも
尊ばれてきた真性臆病な愛――処女懐胎。

今では後者も、「人工授精」という形で一応は叶えられるわけだが、果たして
処女懐胎の本性を見せ付けられて、それでもまだ尊ぶ人がいるのやら・・・?

(人工授精はあくまで“授”精です。精子を受けるのではなく授ける。
女のほうが精子の授受までも取り仕切るのは本来の受精とは異なる。
だからあくまで処女懐胎≒人工授精≠本来の受精である。絶対的に。
精子バンク等はともかく、不妊治療としての人工授精を容認するのは
ある程度仕方ないと思われるかもしれないが、それでもやっぱり女が
己の器質の一部である卵に受動的に精子を受けることにはならない。
今ここで受精と呼んでいるのはあくまで、ウケヒのように順調な性交と
共に行われた受精に限るのである)

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 22:48:42 ID:/m8Vym+J0
交際≦結婚≦性交<受精>妊娠≧出産≧育児

受精卵の着床からが妊娠なので、受精=妊娠ではない。
また性交から受精までにも熾烈な精子同士の競争がある。
交際=結婚=性交はできちゃった婚を一応考慮して。
ひよこクラブが出産から1才まで向けなんで一応出産=育児も。

結婚や性交は愚か、妊娠や出産よりも上にある。
分かってそうで分かってない人間の意外と多い分別。
ミクシイゼクシイたまごクラブひよこクラブこっこクラブ。
ゼクシイとたまごクラブの間に入る本が実はそこら中に蔓延してる。
近ごろのコンビニじゃ、青いテープで封がされている類の本。
そういった本も排除することなく、上のような本とかサイトと一緒に
全部取り込んでいるわけだ、ウケヒは。それでいてちゃんと
メリハリの利いた神話としても成り立っている。それは何といっても
異性関係の一番際どい部分である性交(青いテープの本)を
さらにその上にある受精でもってちゃんと受け流しているから。適当な
寓意でなく、受精80:性交51っていうちゃんとした数的対比でもって。
結婚情報誌には載っても、青いテープの本には絶対載る気のない
であろうマリ子なんかでもちゃんと子供作れるように。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 23:11:24 ID:/m8Vym+J0
あくまでこの辺は、マリ子のほうの問題、
最高太陽女神であるアマテラス、最強の男すら
凌駕する女としての自覚を持つという問題。
甘やかしでなく、あくまで性交を超えたところにある受精への
理解でもって、本当に女が男を超える存在であると
女自身が、自分で納得する、男の助けも借りることなく。

男にとっちゃ、たとえ孤高の英雄たるスサノオであっても
性交までですでによい。青テープの本でよい。そこまでで自分の
望みは達成される。そこから先の受精云々はすでに“境内”での問題。
男の身体を離れた分身どもが、相手の女の内側で競争する。
ただ頑張れとしか、頑張って“あっちの物実”まで辿りつけと
応援する以外に余地はない、スサノオ含む器質的な男には。

そこがもう、完全に器質的な女の側の領域であって、
そこで頑張った“相手の男の分身”を受けてあげる、自分の物実、
卵玉子に、そこでついに頂点に立つわけだ、人類の頂点に女が。
あくまで「受ける側」に徹することで人類の頂点に立つ。
無闇に能動的、積極的にならずとも、受動的、消極的な
女の性癖の内側だけで、人類の頂点に立つんだ。もちろん
相手の物実、陰部の陽性、チンポコ剣の助けも借りてだ。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 05:46:20 ID:+fe7dbUL0
産まれてくる子供のほうだって、自分の親(特に母)が
「未経験だった」「人の親になった」なんて部分をいちいち
意識して生きてる姿なんか別に見たくもないんだ、普通は。
そんな部分を意識されるまでもなく、親は親、経験済みの。
そんな当たり前な部分で親までがウレシがるのを求める処女懐胎。

未経験な間だけ未経験であって、経験したら経験者になって、
親になる以上は親になる、そんな大部分の人間にとって当たり前な
プロセスをいちいち尊大化して、言葉遊びの中に取り込もうなんて
臆病極まりない所業が、それらの下で生まれて来る子供たちにまで
無駄な精神的負担を課す結果になってしまう。なんか、自分らが無駄に
生まれてきてしまったような、本当は生まれずにいつまでも親たちに
「処女地」にい続けることを許してあげたほうがよかったんじゃないか
って必要もない原罪意識を子供までが抱く。引いてはそれが子供
にとってのウレシ、処女懐胎や無駄死にをも誘発する、親族間での
希薄化された精神性の負の連鎖までをも生み出してしまうんだ。

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 06:10:02 ID:+fe7dbUL0
処女である以上は処女であって、親になる以上は親になる。

さっき(>458)も言ったとおり、処女であるということは、積極的な性交、
姦淫を嫌がるというよりはむしろ、生殖的な性交を嫌がるということだ。
別に裏側で姦淫していようがいまいが子供いなけりゃ関係ないんだ。
処女膜の破損具合なんかに全てを還元しようなんてのも大間違いだ。

聖母マリアでなく、娼婦マリア(マグダラ)でもない、もう一人のマリア
がいるんだ。最低限の消極的な、生殖的性交で受精を受け入れた
であろうはずのマリアが、本当は。でもそんなマリアは聖書のどこにも
載っていなくて、明らかに蔑ろにされていて、他の西洋の文献でも概ね
「イヤなもの」という描き方をされていて(アキレスの母テティスとか)、
東洋では女が積極的に生殖的性交を受け入れることが多少は認め
られていて(ヤーマとヤミーとか、イザナキとイザナミとか)、それらの
内のどれでもない、ただ生殖と共にある性交が、不可避に引き起こす
受精でもって、性交の疾しさ、罪深さを十分十二分、十六分*以上に    (* 80÷51>1.6=十六分)
相殺させるのだということを、殊更な他意もなくゴロリと投げ出している
のがウケヒであり、そのウケヒによってアマテラスもまた不可避に己を
最大最高の太陽神たらしめているのである。

受精しない以上は受精せず、受精する以上は受精する。
処女であることや親になることを、性交のさらに上にある受精でもって
ちゃんと示せば、わざわざそこに姦淫を介在させるまでもない不可避な
二律背反が生まれるんだ。わざわざウレシに感傷する必要も全くない、
また子供のほうにも「親にさせてしまった」という後ろめたさを抱かせない、
どこまでも完全に厳密な二律背反、人類の頂点に立つ前とその後。
聖書には一切現れない真のマリア、マリアの上にあるマリア、アマテラス。

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 06:40:14 ID:+fe7dbUL0
性交の中でも非生殖で積極的で、しかも女の側(入れられる)に主に立った場合が
姦淫と呼ばれる。男が、あくまで男の性癖(入れる)の下で行う性交は、姦淫という
ほどのものでもない代わりに、ハッキリとした役割を持っている――射精という。

男の側が射精するためにこそ性交はあるんであって、だからこそスサノオも性交
が果たされた時点で自分自身は安心満足した。でも、アマテラスはまだなんだ。
性交なんてのはあくまで自分が、男の射精を助けるために行うためだけのもので
しかないのであって、結果として自分自身が楽しんでしまうことが姦淫にもなって
しまうわけだが、それでもやっぱり性交・姦淫を女の側が自分たちの本分であると
思い込むのが間違っている。少なくともそれは女たちがその腹中で受動的に受け
入れる受精に比べれば比較的瑣末なものである。射精だけなら女神三柱程度、
さらにそれに確固たる受精(スサノオが相手の物実を噛み砕くような)が加われば
男神五柱程度、射精が女神で量られ受精が男神で量られるのもご愛嬌。

射精でまず男がその務めを果たし、その次に受精でやっと女がその務めを果たす。
男や人類の頂点に立つという務め。結果として自分たちが父母にもなってしまう。
だからってその父母になる、親になるということを殊更に重んじる必要だってない。
それは生殖の頂点たる受精に比べれば比較的瑣末だし、だからって瑣末である
ことが子供たちを蔑ろにしてしまうわけでも全くない(子供が真に“成立”した瞬間
もまた受精だから)。親の側にも子の側にも「受精に比べれば瑣末だ」という比較
の下での、負担的な気兼ねのない家庭生活もまた保障されるわけだ。

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 07:04:09 ID:+fe7dbUL0
大抵の書物(特に西洋の)ってのは、内容を理解すれば理解するほどに
第一印象の美麗さに比べての、中身のなさに幻滅してしまうもんだが、
記紀はむしろ、理解すればするほどその内容の濃さに恐れ入ってしまう。
記述体系も矮小で第一読後印象も楚々としていただけになお一層。

特にやっぱりウケヒはすごい。精神性の濃密さでは本当に人類の頂点。
というよりも精神性そのものだ。射精と受精、この二つに人類の全精神性
が集約されるといっても過言ではない。かといって射精=受精でもない。
あくまで射精と受精の間には、精子同士の卵に達するまでの熾烈な争い
があるんだ、何億分の一っていう競争率の。その競争の場が女の腹で
あることもまた、器質的な女を一時的ながらも人類の孤高に導いている。
女であれば、そのほとんどが(精子競争だけなら不生女でも)体験する
人類の孤高という立場。男どもが決して量り知ることの許されない。

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 08:25:04 ID:+fe7dbUL0
本来は「受精第一射精第二姦淫第三」なところを、
「姦淫第一射精第二受精第三」であると勘違いして、
わざわざ姦淫や射精を、処女懐胎だの割礼だの
という論理で禁止、矮小化卑俗化させる、早い話が
これが聖書の論理だ。ウレシと無駄死にを派生さす。
それは価値転倒だと、裸の王様であるのだと多少は
感付いても向こうがあまりにも偉そうに振舞うが故に
なかなかそれを指摘できる人間がいなかった。けど
いま自分がやってるわけだ。記紀のウケヒの描写を
頼りに、「裸の王様、いつまで逆立ちしてるつもりで
すか?」って、可笑しいのをこらえてなるべく神妙に。
向こうもかなり堂に入っちゃってる所があるからな。

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 09:55:36 ID:+fe7dbUL0
受精射精が精神性なら、姦淫は何か?

姦淫はあくまで姦淫だ。本来はそうでしかない。
ただ、西洋人はそこから目をそらして、正当化美化の意味を込めて
「現象」と呼んでいる。受精射精姦淫学、これが「精神現象学」。

ヘーゲルはまだ、“精神”現象学を研究していただけマシ。
フッサールなんかハナから「現象学」だからな。
受精も射精もナシでただ姦淫だけ考えてる奴ら。
まあ、実際に人間が一切精神持たないってのも無理なんで、
正確には「現象精神学」をやってたわけ。現象第一、姦淫第一な。

「精神分析学」だって、滑稽な研究分野だ。
中出ししたい孕みたいっちゅーだけの人間の根本的な本能を
いちいち分析なんかするのになんの意味があるってんだ?
仮にそれが「病理」であり、「精神病理学」に発展したんなら
その病気を治す唯一の手段は、中出しも孕みも求めませんって、
ただそれだけのことでしかあるめえ。本能的生殖の根本否定だ。
そのくせ坊さんみたいに生殖そのものまで否定する気もないんだから
さらに滑稽だ。「生殖したくない人間に生殖させる」ことをただ研究
し続けてきただけの、逆立ちしっぱなしな裸の王様たちさ。

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 10:36:40 ID:+fe7dbUL0
性交はするんだ。でもそれはあくまで先行する受精射精という義務があってのもの。
その次に性交を楽しむということ、姦淫への欲求がある。この順番すら誤らなければ
ちっとも姦淫の疾しさなんかを恐れたり嫌がったり、さらには禁止したりする必要も
ないんだ、始めから。まさに義務とは精神性のことであり、欲求とは現象のことだ。
最低限欲求よりも義務を、現象よりも精神性を、姦淫よりも受精射精を優先させる、
これこそは不不当の起源、正当性の起源であり、義務よりも欲求を、精神性よりも
現象を、受精射精よりも姦淫を優先させたことこそが、一切の不当性の起源である。

エジプト神話やギリシャ神話は、まだ義務と欲求、精神性と現象、受精射精と姦淫の
いずれを先行させるかということを明示しているわけではない。かなり不当性に満ちた
考え方(男神の最高太陽神ラーなど)が生まれてはいるものの、そこそこに正当で
あるものも併せ持ったみそくその状態、もちろん全体的に見れば不当。そして不当性
を確信犯的に正当性よりも優先させた、根源中の根源となっている書物が正に聖書。
ユダヤ人の割礼(射精禁止)にマリアの処女懐胎(生殖性交禁止)+マグダラ(姦淫
だけの正当化)、そしてそこから必然的に派生するイエスの無駄死に(@割礼違反)。
本能的生殖性交(受精射精)の禁止がもたらす最原初の不当性優勝支配の黄金比。

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 10:55:55 ID:+fe7dbUL0
マグダラのマリアがまた、くせ者だで。
一応聖母マリアとは別人ってことになってるが、同一人物っぽい
寓意的描写(イエスの復活に一緒に立ち会ったり)も少なからずある。
本能的生殖性交は禁じるくせに、姦淫は開き直って正当化する、同一人物
とすれば明らかに二重人格、これが精神分裂病の起源な所もあるだろうな。
無駄死にしたのに生き返るっちゅーイエスの復活譚が男の精神分裂病の
起源なら、こっちは女のだ。こんな話に優勝支配されてるような世界で、
精神病にもかからずにケロッとしていられるほうがおかしい。鈍すぎる。

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 11:56:41 ID:+fe7dbUL0
姦淫よりも射精が上であり、しかも射精よりも受精が上である――
この辺をちゃんとわきまえることが、結局は独立自尊心の保持にもなる。
男であれ女であれ。中出しや孕みを誰とでも許すわけにゃいかないからな。

飾りすぎてたんだ、言葉をいろいろと。「精神」であれ「現象」であれ「独立自尊心」であれ。
あっちもそうだが、こっちもそうだ。過渡的な定義(≡)や原則(≒)でもって示したいことを
示し合う、でもまだそれらは定義や原則であるが故に真理(=)ではない。真理まで
たどり着いた時には今までと違った言葉が待っている。楚々として、衒いがなくて、
それでいてちゃんと肝心な部分は掴み取っている真理の言葉が。

マリア(@聖書)からマリアの子(@コーラン)、そして真理子(@クローバ畑)へ――。
不当な定義(≡、聖書等)を正当な原則(≒、コーラン等)でもって相殺し、
真理(=、クローバ畑)にたどり着く。紫山回天の完了である。

過剰(十二分)でも不足(八分)でもない、ぶれない(十分)真理、ここに極まれり。
これからも書けることは書けるが、あくまで八分と十二分を行き来する十分な話に尽きる。
(スレの密度薄めるためにももっと書けやおまえら。死ねとか消えろとかなんでもいいから)

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